2011年7月30日土曜日

指導医と記念撮影

7/30 (金) くもりのち晴れ
 
論文はほとんど投稿できる状態まで仕上がったのだが、昨日、2点ほどマズい点に気がついた。
一つは他の研究者の研究の内容の解釈を誤っていたこと、もう一つは結論の持っていき方が不十分だった点である。
 
これらはいずれも自分が最初に原稿を書いた時点ではクリアできていた問題だったのだが、指導医による添削が次から次へと入る過程で少しずつ論点が最初のものからずれてしまい、結果として矛盾が生じてしまったというわけだ。
論文の作成は指導医2人と自分との3人での共同作業なので、よほど注意していないと部分的には飛躍的に改善されたとしても全体の構築が危うくなる可能性がある。
 
指導医に CD に焼いたデータを届けるついでに、3人でオペ室で記念写真を撮ってもらった。
「髪が薄いからフラッシュいらないんじゃない?」って誰かが言っていたが、そういうハゲ予備軍の人を揶揄するジョークのセンスって日本と全く同じなんだと感じた。
 
それから、電池が切れてからはすっかりほったらかしにしていたポケベル(みたいなやつ)を麻酔科の秘書さんの代理の人に返却した。
あとは今日部屋で偶然見つけたロッカーの暗証番号を書いた紙を返却すれば(本当は捨ててもいいのだろうけど)、事務関係は終了となる。
 

2011年7月29日金曜日

Yaletown の日本風居酒屋

7/29 (木) 晴れのちくもり
 
ウチのホームステイの初代店子の K さんと一緒に晩メシを食いに行こうということで、Yaletown の Juno へ。
ここは日本風居酒屋で、日本酒はもちろんのこと、揚げ出し豆腐とか枝豆といったおつまみもあった。
 
もうとにかく今は、ラザニアとかパスタといった気分ではなく、とにかく日本食が食べたかったのでちょうど良かった。
日本に帰りさえすればいつでも食べられるのはもちろんわかっているのだが、食生活を始めとしていろいろな生活様式をもうムリにこっちに合わせようとしなくていいのだと思えば思うほど、日本のものを無性に食べたくてしかたがなくなる。
 
最後に食べたご飯ものはユッケだというから肉かと思ったら、実はサーモンだった。
その他、野菜天ぷらとか刺身とかいろいろあって、結局、K さんにごちそうになってしまった。
 

2011年7月28日木曜日

古いワードの落とし穴

7/27 (水) くもりのち晴れ
 
論文の中で表を作成するにあたって、自分は昔ながらのタブで横に列をずらしながら項目や数値を記入するやり方をとっている。
これだと単にワープロのシートの上に等間隔に数値を並べただけなので、とてもシンプルだ。
 
論文投稿の際に Editorial Manager 上でワードなどのファイルから PDF が作成される過程にあっても、列がずれたり変なところで改行してしまったりということもない。
単純な分だけ誤りが少ないというわけだ。
 
そして今日、論文がまもなく完成という時点になって、指導医が彼の新しいパソコン(しかも Mac)の新しいワードでそのシンプルな表を作り直したもんだから、もう大変。
自分のパソコンの Word 2003 で見ると一部めちゃくちゃになっていて、何が起こったのかさっぱりわからなかった。
 
フェローの部屋の共用のパソコンには Word 2007 がインストールされているのだが、それだときちんと(指導医が意図した通りに)見えており、古いバージョンのワードのせいだと判明。
自分としてはワードもエクセルもパワーポイントも全て 2003 を愛用しておりとても使い勝手がいいのだが、まわりがどんどん新しいのを使うようになってくると、だんだん肩身が狭くなってくる。
 

2011年7月27日水曜日

本の返却

7/26 (火) くもり
 
ボランティアの最後の日に借りた本を返しに、仕事の前に日本語学校に寄ってきた。
校長先生がいらっしゃって、ごあいさつすることができて良かった。
本を返却したことで、また一歩ウィーニングが進んだ。
 
この2年間でマンガもけっこう読んだが、ふつうの(?)本も読むことができてよかった。
特に新田次郎の本は、山岳シリーズだけでなく戦国大名シリーズもとてもおもしろかった。
 
日本語学校に通うことで、走ることと本を読むことが身についたように感じる。
帰国後は疫学を勉強したいと思うのでそちらに時間がとられるかもしれないが、読書も細々と続けていきたいと思っている。
 

2011年7月26日火曜日

銀行口座解約

7/25 (月) 晴れ
 
カナダを去る前に忘れずにやらないとといけないと思っていたのが、銀行口座を解約することだ。
しくみは本当によくわかっているわけではないのだが、今の口座は利子がつかないだけでなく、月に8ドルぐらい口座使用料を払っている。
 
正確には 2000 ドルを超える残高があれば、手数料はかからない。
また、給料の口座振り込みなどがあれば、またさらに別のオプションもあるようだ。
 
口座を開設するときはあらかじめ時間を約束して出かけて行ったり、 ID をいくつも持って行ったりしなければならなかったのだが、解約はいたって簡単だった。
銀行のカードを持って行って、暗証番号を打ち込むだけ。
パスポートや Work permit まで持って行ったのに、結果的には全く必要がなかった。
 
最後に書類にサインして、Account Close Authorization という紙片を受け取って終了。
Canada Trust の行員は最後までいつも親切で、まるで日本の銀行にいるような気分さえした。
 
家に戻ってから、最近来た中東の店子と話したのだが、彼はラマダン(断食の月)のためにまもなく一時帰国するのだそうだ。
あらゆるムスリムが帰国するのかと思ったら決してそういうわけでなく、カナダに残るムスリムもいるのだと言う。
 
つまりラマダンでは日の出から日没まで何も食べないわけだが、バンクーバーでは8月は一日の16時間が昼間だというわけで、かなり過酷な1ヶ月になることと関係があるらしい。
中東に戻りさえすれば、いつもの年と同じペースでラマダンの1ヶ月間を過ごせるというわけだ。
 

2011年7月25日月曜日

ウィーニング開始

7/24 (日) 晴れ
 
いろいろな人たちから、「もう荷造り(packing) 始めた?」と訊かれるのだが、まだ全くやっていなかった。
以前も書いたがたいした荷物があるわけでもないし、いざとなったら日本の医師免許と麻酔科学会の指導医・専門医の認定書とパスポートだけ持って、あとは全部捨てる覚悟(?)はできているからだ。
 
あ、でもよく考えてみたら、パソコンとデータは持って帰らないと、今までの苦労が水の泡になってしまうかも・・・。
あと、せっかくだから、ラケットとハイキングシューズは持って帰りたい。
大家さんにもらったおみやげも持って帰らないとまずいだろう。
あ、それから家族や職場へのおみやげも買わないといけないし、ほかにも意外と荷物はたくさんあるかもしれない。
 
一応、スーツケース2個に荷物をおさめるつもりではいるのだが、手応えを知っておくために少しだけ荷造りをしてみた。
そしたら予想通りたいして荷物はなく、やはり大丈夫のようだという自信を得ることができた。
インターネットや PDF があるおかげで論文を大量に印刷したり、紙媒体の本を買わなくて済むようになったことが大きいと思う。
 
カナダ東部ほどではないにせよ今日は日中は暑く、テニスという気分ではなかった。
夕方、太陽が少し傾いてきて、コートに日陰ができる時間を見計らってから、コートに出かけて行った。
最初の1時間はサーブの調子がいいのだが、後半は手首の力と握力が続かなくなってしまい、調子を維持することができない。
 

Lynn Peak --- 三度目の正直

7/23 (土) 快晴
 
昨年は何回か M 君とハイキングに行ったが、天候のせいで残念ながら一度もいい景色を眺めることができなかった。
特に Lynn Peak に関しては一回めは大雨で途中から引き返さざるをえなくなり、二回めは道にさんざん迷ったあげくにピークに到着したものの、あたり一面が霧で何も見えなかった。
 
今年は日曜はずっとテニスをやっていたということもあり、この日が今年初めてのハイキングだった。
去年のツキのなさがウソのように晴れわたり、絶好のハイキング日和だった。
 
Lynn Peak の心肺系へのキツさは Grouse Grind とほぼ同様だというのがもっぱらの評判だが、Grouse Grind よりも道が悪く岩だらけでしかもその岩がゆるいので、足をとられないように歩くのが大変だ。
眺めの良い場所に出さえすれば苦労が報われたと感じるのは、Grouse Grind と同様だろう。
土地勘がイマイチないのであまり自信がないのだが、頂上近く(正確には頂上ではない)からは Burrard Inlet と Ironworkers Memorial Bridge、その向こうには Burnaby の街並みが見えていたのだろうと思う。
 
夕方からは大家さんが送別会を催してくれた。
友達を連れてきてもいいということだったので、M 君をそのまま連れて家に戻り、たくさんのお客さんたちと飲んだり食べたりした。
 
デザートはチーズケーキを所望していたのだが、大家さんのチーズケーキはとてもおいしく、お客さんたちの評判も高かった。
M 君も Language Exchange を通してヒサンなホームステイの現状をたくさん知っており、彼の目からみても自分がこの大家さんとめぐり会えたことは幸運だということになるらしい。
 

2011年7月22日金曜日

ランをプレゼント

7/21 (木) 雨のちくもり 夕方から晴れ
 
下宿住まいも残りわずかとなった。
今度の週末は、大家さんが送別会をしてくれると言う。
おみやげまですでにいただいてしまった。
ヨメさんや子供たちにまでおみやげをくれると言うので、恐縮してしまっている。
 
それで1年間のお礼もこめて、あとお返しの意味もこめてランの花をプレゼントすることにした。
大家さんはランの花が大好きで、それを知っている友人たちがプレゼントするものだから、キッチンの窓辺にすでにたくさん置いてある。
自分が贈った花も、コレクションに加えてもらえそうだ。
 
ランの花は満員電車に耐えられそうもないので、今日はいつもよりも早めに職場を出て、Cambie Street 沿いの花屋に行った。
よく前を通るのでそこに花屋があることは知っていたが、行ったのは初めてだった。
 
バスで帰ると言ったら、人がぶつかってきても大丈夫なようにと、厳重にラッピングしてくれた。
とても親切でいい花屋だと思う。
 

2011年7月19日火曜日

粘り気が出てきた

7/18 (月) くもりのち晴れ
 
右の写真は、昨日前を通り過ぎたウェストミンスターの市役所。
 
論文はだいぶでき上がりつつあるが、細かいところの詰めにもう少し時間がかかりそうな状況だ。
そんな中、今日も指導医の一人と話をしたのだが、なんだかちょっと論文作成の流れが変わってきたような気がした。
 
論文を書く時はいつもそうなのだが、自分はいつも背景から結論に至るまで、「この論文はここがウリですよ~」というのをしつこく強調している。
脳の虚血実験をやって博士論文を書いた時に、ある基礎系の先生に論文を書くコツとしてそのように教わったからだ。
 
一方、こちらの指導医2人はそういう論調は好きではないみたいで、自分の目からはかなり淡白な感じに映る。
だが今日の話し合いでは少し粘り気が出てきたようで、もう一人の指導医もその流れに同意していた。
 
指導医たちも心が揺れ動いているのだろうか。
完成までもう少し、あっちに行ったりこっちに行ったりしそうな気がする。
 

2011年7月18日月曜日

New Westminster

7/17 (日) くもり一時霧雨
 
結局、ロッキー・マウンテンはおろか、ウィスラーもシアトルも行くことなく帰国することになったが、せめていわゆる近場の観光地ぐらいは制覇しておこうと思い、ニューウェストミンスターに出かけてきた。
動物園や遊園地には興味がないし、スティーブストンは先日 M 君が連れて行ってくれたので、残るはニューウェストミンスターぐらいかと思っていた。
 
最初からスカイトレインでダウンタウンまで行けば良かったのだが、地図で見ると何となく海岸沿いを歩いてみたくなり、22nd Street で降りててくてく歩いた。
ところがあたりは工業地帯のようで海には近づけず、しかも地図上では何となく幻想的に思えたポプラー島は本当に何にもないただの島で、ちょっとがっかり・・・。
 
次のニューウェストミンスター駅まで行くと海のそばに出られ、ようやく眺めが良くなった。
晴れていれば良かったが、ずっとどんより曇っていた。
マーケットもあったが混み合っているわけでもなく、散歩するにはいいところかもしれない。
 
ロイヤルシティセンターで買い物でもしようと思い、ひたすら坂を上っていった。
口コミ情報によく書いてあるとおり、確かに坂が多い。
汗がだくだくになった。
しかし日曜日のためか、ロイヤルシティセンターの中はほとんど閉まっており、そのまま退散。
静かで住むには悪くなさそうな環境だが、日本人が書き込む掲示板にはあまりいいことは書いていない。
 
夕方はまた K さんとテニスを楽しんだ・・・っていうより、最近はテニスの技の研究と言うほうがふさわしいような気がする。
お互いの長所と短所を指摘して、長所を伸ばして短所を克服するにはどうしたらいいか、課題を見つけながら取り組んでいる。
 

2011年7月16日土曜日

投稿先の選定

7/15 (金) くもり一時雨
 
論文は自分と指導教官の間を行ったり来たりしながら、概ね投稿しても良さそうな状態まで仕上がりつつある。
いよいよ投稿先を決定し、論文のフォーマットをそれに合わせる段階となった。
 
二人の指導医が口をそろえて薦める投稿先はまあまあの線のジャーナルで、アクセプトされればきっと、まあ落ち着くべきところに落ち着いたという気分になれそうなところだ。
彼らは「時間のムダ」とは口には出さないものの、レベルが高くてアクセプトが困難なジャーナルに投稿したいとは思っていないらしい。
 
自分としてははるばる北米まで来たのだから、当初はもっと勝負に出たいとも思っていたのだが、リジェクトされたあとに復職後の忙しい環境の中で別のジャーナルに投稿しなおすことを考えると、彼らの判断に従うのがいいのかもしれない。
ドラマチックな展開は望めそうもないが、理性的な判断を下してくれた指導医たちに感謝をしたい。
 

2011年7月15日金曜日

教育評価システム

7/14 (木) 雨のちくもり
 
日本の職場からこちらの教育システムについてなにかしら学んでくるようにとの指令を受け、最近いろいろな人に会って話をしている。
そこから受ける総合的な印象は、「教育に人と時間とカネをかけている」ということである。
「こういうのがあったらいいな・・・」と思うものが全てある、という感じがする。
 
こちらの病院の麻酔科にはいわゆる一人前の麻酔科医 (Attending) が 56 人おり、レジデントが1学年につき 12 人ずつ 5 学年あるので 60 人いることになる。
こういう大きな所帯なので、教育に携わる麻酔科医も1人や2人ではなく、多くの人たちがさまざまな形で参加しているというということになるわけである。
 
教育評価はオンラインで行なうのだが、麻酔科医がレジデントの指導を1回行なうごとに入力しなければならないのだそうだ。
ラジオボタンをクリックするだけでなく、コメントも書き込むようになっているのでかなり重労働ではあると思う。
 
指導者がレジデントに対して行なった評価をもとに各病院に1人ずついる サイト・マネージャーが総合的に判断して評価を行ない、それを全体で1人しかいないプログラム・マネージャーに提出することになる。
 
一方、レジデントの方にも指導者を評価する仕組みがある。
彼らはプログラム・マネージャーに年に2回面接する機会があり、そういう時に指導者への不満があれば吐き出すこともあるらしい。
指導する側とされる側がお互いに不満を持つという図式は国が違ってもやはり当てはまるようで、永遠の課題だと言えるだろう。
 
また、カナダのレジデント制度と日本の研修制度の大きな違いの一つに、5年間にわたる麻酔科の修練を始める決意をするのがカナダの場合は学生4年め(最終学年)の始まりということが挙げられる。
日本のように最初の2年間を広く浅くというわけにはいかないわけで、しかも研修を行なう専門分野をまだ学生生活が1年残っている時期に決断しないといけないという点が、カナダの医師の卵たちにとってはつらいところだ。
 

2011年7月14日木曜日

ホームステイに見る現代若者気質

7/13 (水) くもり一時雨
 
今週から、新しい店子が南米からやって来た。
彼はエンジニアリング関係の博士を持っていると言う。
 
学歴で差別するわけではないだろうが、ほとんどの店子がわがままで子供っぽいので、大家さんは彼にかなり期待していたようだった。
しかし数日経った今、彼も決して例外でないということがわかり、今日はちょっと落胆していたようだった。
 
自分も含め誰しもがかつては若かったわけで、一方的に若者を責めるつもりはないが、せっかくだからここで店子たちの特徴についてまとめておきたいと思う。
若者たちの行動を客観視して評価を下すことも、オジさんに課せられた責務だとも思うので。
 
まず、彼らは決して約束を守らない。
ウチでの約束はきわめてシンプルで、晩メシを食べない時は午後5時までに大家さんに連絡を取ること、午後 11 時以降は騒がないことぐらいである。
自分が越してきた昨年8月以来、1人として晩メシの連絡をして来た人はいなかった。
 
また、彼らは例外なく Skype を使っているのだが、夜中だろうと明け方だろうと時間帯を気にすることなく大声でしゃべっている。
ガールフレンドを夜中に起こしてまで、こっちの都合のいい時間帯にしゃべっていたのは南米某国の軍人ぐらいだった。
マイクの性能にもよるのだろうが、Skype って大声じゃないとダメなものなんだろうか?
 
そして彼らは決して1ヶ所に長居することがないみたいだ。
ついこの前来たばかりの中東の彼も、明日出て行くことになった。
大家さんはこの数十年間で数百人の外国人の面倒を見てきたそうだが、1年以上居ついたのは自分も含め4人で、しかも全員が日本人だと言う。
 
店子全体に占める日本人の割合は決して高くなくせいぜい 10% 程度だと思うので、多変量解析を行なえば日本人であることと長期間の滞在との間に、相当強い有意な関係が見出されることだろうと思う。
 

2011年7月13日水曜日

Bento Box

7/12 (火) 晴れ
 
前日夜の残り物をふだんは昼食として食べているのだが、今日は病院内の友人である H さんに誘われ、Broadway 沿いにある日本食の食堂みたいなところに出かけていった。
その H さんの部署にニュージーランドから医学生が来ており、彼が日本語をちょっとしゃべれるというので、Language Exchange みたいなのをしようということらしかった。
H さんも日本に住んだことがあるので、きれいな日本語を話すことができる。
 
多くの日本食の食堂ではそうなのだが、われわれ4人が行ったところでも昼は Bento Box と称して、まさに弁当のようなものを販売していた。
種類はいろいろなのだが、われわれが食べたのはライス、チキンのテリヤキ、カリフォルニア・ロールが6つぐらい、野菜のテンプラ2~3個とエビのテンプラ、味噌汁、オレンジが一切れといったところだったと思う。
 
これでチップ込み8カナダドルはリーズナブルだと思う。
それなりにおいしかったし。
みんな箸はそれぞれまあまあ使えるのだが、ごはんが箸の間からぽろぽろこぼれてしまってかわいそうなぐらいだった。
 
その医学生と H さんの日本語の会話はあやしいところもあって、自分は時々何を言っているのかわからないことがあったのだが、奇妙なことにそんな時でも医学生と H さんはそれぞれ相手を理解していたのが笑えた。
ネイティブに通じない日本人の英語が、日本人同士では通じることがあるのに近いものがあるような気がする。
 
その医学生はいいやつなのだが、若いだけに男女の間のちょっとやらしい話題が好きみたいで、日本社会だったら絶対に白い眼で見られるようなことを、日本語で大きな声でしゃべるのでハラハラドキドキしてしまった。
母国語でないとどのくらい不適切なことを言っているのか、ニュアンスがよくわからないのかもしれない。
 

2011年7月12日火曜日

さらに安くなった

7/11 (月) 晴れ
 
データ収集はその後も少しずつだが続いており、あと4人分を残すのみとなった。
いつもそうなのだが、診療録を請求すると最初はたくさん出てくるのに、あとになるとペースが落ちてくる。
さらに催促をし、残りを待つこととする。
 
昨日予約をした某航空会社から電話があった。
ケータイが鳴るといつも緊張しながら “Hello” と言って電話に出ることになるのだが、それにかまわず向こうは「もしもし、こちらは○○航空の××と申します。昨日のチケットの件で・・・」とどんどん日本語で話してくれるので、なんかほっとしてしまう。
 
その電話によると、燃油サーチャージ代はなぜかさらに4割ぐらい安くなったため、昨日比較した航空会社間で約 10 倍の較差がついたことになった。
インターネットで調べるとどこもそんなに差がないように感じるのだが、どういうカラクリになっているのか謎のままである。
 

2011年7月11日月曜日

ASA の旅程

7/10 (日) 晴れ
 
ASA に送った演題がアクセプトされたので、今年はシカゴに出かけることになった。
いつもは演題アクセプトのあとでぐずぐずしてしまい、飛行機やホテルの予約が遅れ気味になるので、今日はがんばって全て済ませることにした。
 
意外だったのは燃油サーチャージの料金が、JAL とアメリカン航空では6倍ぐらい違うという点だ。
電話で話した係の人の話だと、会社による違いというよりは会社がある国による違いだということだった。
6倍も違うと必然的に安い方を選ぶことになるわけだが、その燃油サーチャージが安い会社の方が空席が多いというのが不思議だった。
 
ホテルに関してはインターネットの検索機能をフルに活用して、発表会場のすぐそばに予約を取ることができた。
ASA で紹介しているホテルは1泊とか2泊ならいいのだが、海外から来て5泊とかするような場合には、予約がいつも取りづらい。
 
昼間はウチのそばの穴場のコートで、K さんとシングルスのゲームを楽しんだ。
昨日、今日とそれぞれ2時間ぐらい外にいたせいか、すっかり日焼けしてしまった。
 
ここのところ、サーブのスピードと精度が上がってきたように感じる。
最近やり過ぎなのかもしれないが、右の手首が痛い。
 

2011年7月10日日曜日

30 分ルール

7/9 (土) 晴れ
 
テニスのコーチに紹介された A さんと、今日は初めて一緒にテニスをした。
Stanley Park Open Tournament が今日から始まったところなので、スタンレー・パークのいつものコートは使えない。
それで歩いて5分ほどのところにあるコートで、ラリーを楽しむことにした。
 
おそらくバンクーバーだけでなくカナダはどこでもそうだと思うのだが、一部を除いてほとんどのコートは無料である。
予約というシステム自体が一部の有料コートを除くとなく、出かけていってコートが空いていたらおもむろに始めるというわけである。
 
ではすでに先客がいて、どこもコートが空いていなかったらどうするのか、ということになるのだが、そのために 30 分ルールというのがある。
コートの金網に看板がかけてあって、そこにルールがずらずらと書いてあるのだが、そこに一部のメンバーを除くと使用は上限 30 分に限ると明記してある。
 
では実際にはどうするのかということが問題で、自分はこのことについて長いこと疑問を持っていた。
こっちの人たちは日本人のような遠慮はあまりないので、試合やラリーを楽しんでいる人たちのところに割って入って、「じゃあ今から 30 分したらオレ達が使うから、そういうことであとはヨロシク」とでも言うんだろうか・・・と思っていた。
 
ところがやはりこっちの人たちもさすがにそこまでは言わないようで、何となくコートの前に座って「私たちはここで待ってますからネ」とプレッシャーをそーっとかけるのが関の山みたいだ。
すると30分を少し過ぎたぐらいで、さわやかに替わってくれるといったような展開になるというわけだ。
 
それでも中にはプレッシャーをうまくかけきれずに、遠くからそっと待っていたりするものだから、悪気のない人たちに割り込まれてしまうケースもあるようだ。
存在感をアピールすることも肝心らしい。
 
今日、一緒にラリーを楽しんだ A さんは自分と真剣勝負がしたかったというわけではなく、適当なラリーの相手を探していたようだった。
明日はトーナメントに出場するとも言っていた。
テニスの技術は自分とあまり変わらないように思うのだが、自分より若くて体力があるしとにかくよく走るので、真剣勝負したら勝てそうもなさそうな気がした。
 
今日はとてもいい天気で、太陽がギラギラしていた。
気温はせいぜい 22 ℃ぐらいだったと思うがテニスをしていると暑くてしかたがないので、30分ルールにしたがって他の人に順番を譲りつつ休憩を入れた。
ダブルスのゲームをするには物足りないが、2人でラリーを楽しむ分には 30 分ごとの休憩で自分にはちょうどいい。
 

2011年7月9日土曜日

Britannia Heritage Shipyard

7/8 (金) 朝は雨、晴れたりくもったり
 
ガールフレンドができて、ここのところすっかりつきあいが悪くなった M 君だが、久々にリッチモンドで会おうという誘いがあり、仕事のあとで出かけてきた。
 
自分にとってリッチモンドというと、思い出されるのはアバディーン周辺のヤオハンなどのにぎやかな商業地域なのだが、M 君が車で連れて行ってくれたのは歴史的な建物がたくさん並んでいる海沿いの場所だった。
Murakami House とか Japanese Duplex という名前にあるように第二次世界大戦以前はここに日本人が多く住んでいて、どうやら海運業や漁業に携わっていたようだ。
 
このあたりはレストランをはじめとして店はたくさん栄えてはいるのだが、駅前とは違ったとても静かな場所で高級住宅地と隣接したところにある。
天気が良かったので、レストランでは外のテーブルで食事をしたのだが、太陽が傾いてくると冷えてきてしかたがなかった。
 
海のそばで散歩するにはとてもいい場所なのだが、今日は気温が 10 ℃台しかなく、半袖で出かけたものだから寒くて震えっぱなしだった。
暑いぐらいの日に来るのがちょうどいいのだと思う。
 

2011年7月8日金曜日

テニスの誘い

7/7 (木) くもりのち雨 夕方一時晴れ
 
帰国の日が迫ってきている一方で、テニスの交流関係が広がっている。
前にダブルスの人数合わせ(?)のためにオバさまたちに呼ばれたことは書いたが、最近はシングルスの武者修行(?)の相手として指名されるようになった。
 
なぜかよくわからないのだが、つい先日、コーチからシングルスの練習相手を探しているというオジさんの電話番号を渡された。
テキストメッセージを送ってみると(電話だといまだに英会話に苦労するので)、さっそくその日のうちにやろうというお誘いを受けた。
もっともその日はやらないといけないといけない仕事があったので、残念ながら別の日にしてもらうことにせざるをえなかったのだが。
 
全てのお誘いを受けていると仕事に支障が出るので、実際にやるのは半分以下だろうか。
しかしおかげで最近、テニスコート事情に少し詳しくなってきた。
 
特に昨日は、自分の住んでいるところの近所に、みすぼらしいがたいてい空いている穴場的コートを発見した。(穴場だからここには書かない)
美しさとか快適さではスタンレー・パークやクイーン・エリザベス・パークとは比較にならないが、勝負とか鍛錬が目的ならそんなに悪くないんじゃないかとひそかに思っている。
 
武者修行の相手としてどうして自分が指名されたのかわからないが、真剣勝負が望みだと言うのなら徹底的に倒してやらなければならないと考えている。
 

2011年7月6日水曜日

ネコの嗅覚

7/5 (火) 快晴
 
ウチの大家さんは学生には昼の弁当用にサンドウィッチを作ってくれるのだが、自分には作ってくれない。
一応の理由としては、「これからトシをとるのにサンドイッチぐらい自分で作れないと困る」というもので、トレーニングの一環として自分で作れということらしい。
もっとも、学生はいつもサンドイッチである一方、自分はほとんど米飯の弁当で、サンドイッチはせいぜい週に1回程度なのだが。
 
まあそれはそれでいいのだが、これに関連して最近おもしろいことに気づいた。
サンドイッチを作るためにツナやハムの缶を開けることが多いのだが、缶切りで開け始めたとたんにブーツ(飼い猫)が飛んできて、足元でじゃれはじめるということが今日も含めて3回続けてあったのだ。
 
本当に缶切りで缶の周囲の 1/4 も開けないうちに、別の部屋にいるブーツがすっ飛んでくるのだ。
聴覚なの嗅覚なのか知らないが、ネコの感覚がものすごく優れていることを知った。
ツナの場合は切れ端をやると「もっとくれ」とせがんでくるのだが、今日はハムを一切れやったらもうそれで満足したらしかった。
 
缶を開ける音だけ聞かせたらどうなるのか、ちょっと実験してみたいような気がする。
 

2011年7月5日火曜日

元の日常に戻った

7/4 (月) 快晴
 
先週の木曜日に診療録保管庫のリサーチ専従代行係の人と話し合い、ようやくカルテをきちんと出してもらえることになった。
先方としては先方に 100% の落ち度があったわけではないということを主張したかったようなのだが、そうは言ってもカルテは結局は出されていなかったわけなので、「カルテは正当に扱われた(かもしれない)が、何らかの理由でそれがいつもの場所に見つからなかった」ということで結局は決着がついた(形になった)。
 
そのことを主張するために先方はこちらから電話をかけることをメールで要求してきていたのだが、電話での英会話だとうまく丸め込まれる可能性があったため、先週木曜日にわざわざこちらから出向くことにしたのだ。
案の定、会話はかなり複雑なものとなり、実際に出かけて行って正解だった。
電話でなくて対面での議論ならば簡単に負けることはないということは、この2年間で学んだ大事なことの一つだ。
 
それで先週の金曜日と今日の2回に分けてカルテを出してもらうことになり、今朝は早朝からカルテのチェックに出かけた。
ここのところほかにやることもないのでホームページ作りに熱中していたが、久しぶりに日常の研究生活に戻ったような気がする。
 
また、指導医による論文のチェックが終了したので、午後はそのチェックされた内容をチェックすることに取り組んだ。
当たり前だが確かに英語は洗練されているのだが、肝心の論点が若干ずれてきているような気がしないでもない。
一度、さらに直接話し合う必要があると思う。
 
それから、Harrison hot spring に行って以来、疎遠になっていた H さんと久々に偶然病院で会った。
またたまには一緒にメシを食おうということになったのだが、何となくこれも居心地のいい日常に戻ったような感覚だった。
 
大家さんが今日の夕食はステーキだと以前から宣言していたので、帰りにワインを買って帰った。
BC 州のワインはどんなに安いものでもはずれがないのが特徴で、今までに一度も買って後悔したことがない。
 

2011年7月4日月曜日

最後じゃなかったテニス

7/3 (日) 晴れ
 
まもなく Stanley Park Open Tournament というテニスの試合が3回の週末にわたってスタンレー・パークで行なわれ、その間はテニスのドリルは休みになる。
なので、テニスで知り会った人たちとも今日でお別れかと思ったのだが、案外そんなことはなく、まだ何回かチャンスがあるということがわかった。
 
特に冬のインドア・テニスの頃から一緒にやっていた K さんは、自分が8月に帰国すると言ったのを覚えていてくれたようで、他のメンバーも含めて近いうちにテニスをやる機会を作ってくれるとのことだった。
 
今日もドリルは3時に終わったのだが、ドリルを一緒にやっていた1人が隣の無料のコートをうまいこと確保し、そこで誘われてさらに1時間プレーを続けた。
夏至を過ぎたばかりということもあり、夕方近くになっても真昼のような明るさだ。
ただ、おそらく気温は 20 ℃ちょっとといったところで、決して蒸し暑いということはなくとても過ごしやすい。
 

2011年7月3日日曜日

ホームページ --- 思ったより大変

7/2 (土) 晴れのちくもり 夜は雨
 
カナダ・デーも含めて3連休の週末だが、今日も病院へ行ってしまった。
 
病院へ行く時のバスで運転手がマイクを使って、「こんなにバスが混んでいるのは会社がこの路線に運転手を十分に投入していないからなので、みんなで会社に電話してルート41にもっと運転手を増やすように言って下さい。電話番号は 604-○×△-○×△□ なので覚えやすいと思います。このルートのバスに乗っているお客さんは優しくて文句を言わないので、いつまで経ってもサービスが良くなりません。このバスにはお客さんが 100 人は乗っているはずなので、ひとりひとりが行動すればきっと改善されるはずです。」と繰り返しアナウンスしていた。
実際、バスはすごく混んでいた。
 
こちらのお国柄だと思うのだが、バスの運転手だけでなくいろいろな職種の従業員には、「ひとりひとりの従業員が会社の顔だ」という意識はないらしい。
日本だと、「たいへんご迷惑をおかけして申し訳ありません」と言いそうな場面だが、「私は悪くない」、「悪いのは会社だ」と理屈になるようだ。
最近まで郵便局が長いことストをしていたが、彼我の労働者の考え方の違いがそういうところにも現われていると思う。
 
ホームページの作成は思っていたよりも大変で、慣れないせいか遅々として進まない。
トップページだけでなくサブのページを1ページ作るのに、ブログの3回分ぐらい時間がかかる。
でも、いつまでも公開しないと結局はお蔵入りになりそうなので、たとえ中途半端でも適当な時期にはアップしたいと思っている。
 

2011年7月2日土曜日

ホームページ作り

7/1 (金) くもりのち晴れ
 
今日はカナダ・デーといって、カナダの建国 144年を記念する国民の祝日だ。
去年はフランス人のルームメイトとその友人たちとパレードや花火を見に行ったが、今年はダウンタウンまでわざわざ出かけるのも億劫だったので、とりあえずいつものように病院へ。
 
休日なのに、なぜかオフィスの入り口にはロックがかかっていなかった。
ほかに誰もいない休日のオフィスにロックがかかっていないことほど無用心なことはないわけで、コーヒーを買いに行く時とかわざわざ自分の居室にカギをかけて出かけることになった。
 
論文については指導医と1回やりとりをしたのだが、その後もまだ指導医は論文のチェックにかかりきりになっている。
それで多少ヒマができたので、現在はホームページ・ビルダーを使ってホームページの作成にかかっているというわけだ。
 
手軽なことからメモ帳ワードを使ったホームページ作りも考えたのだが、やはり見栄えと美しさの点からは市販のソフトウェアにはかなわないようだ。
ホームページ・ビルダーの解説本を日本に置いてきてしまったようでちょっとメゲたのだが、よく考えてみればソフトにもともと解説がついているわけで、それを見ながらああでもない、こうでもないと、いろいろと試行錯誤を繰り返しているところ。
 

2011年7月1日金曜日

チキントルティーヤ

6/29 (水) くもり一時晴れ
 
ホームステイでよくあるトラブルに、①メシがまずい、②メシが少ない、③寒い の3つがあることは以前に書いた。
ウチの場合は冬の間はちょっと寒かったが(でもまあ、トロントにくらべればマシだろうが・・・)、メシはうまいと思っている。
大家さんが「あれも食え、これも食え」と次から次へと食べ物を出してくるので、太らないように注意が必要なくらいだ。
 
この前の土曜日、日本語学校でとある人からヒサンだったホームステイの話を聞いた。
ヒサンだったのはやはりメシで、想像しただけでぞっとするような内容だった。
その話を聞いてから、いつかは備忘録に今の食生活を残しておきたいと思っていたのだが、今日がちょうどいいチャンスなので写真を撮ってみた。
 
大きな皿に載っているのはチキントルティーヤで、中身を明らかにするために解剖の教科書みたいに皮(皮膚)を折り曲げてみた。
今日は病院でホームページ作りに熱中してしまったために遅くなったので、すでにでき上がったものがオーブンの中に入っていた。
もっと早く帰ってきたら、みんなでワイワイ言いながら自分で包んで食べてたと思う。
 
この皿には2つしか載っていないが、今日は最高5つまで食べても良さそうな雰囲気だった。
2つで腹いっぱいになったのでそれ以上は食べなかったけど・・・。
ウチに関しては、メシが少なくて困るということはない。
手前左側の皿は、色が悪いのだが本当は透明なチキンスープだ。
本物の方がずっとうまそうに見える。
 
なぜかウチのメシはチキンが多い。
おそらく安いのと、中東から来た店子がいるのでブタを避けるという意味合いもあるのだと思う。
 
以前は炭酸は飲まないようにしていたのだが、最近はめんどくさくなって、コーラだろうがスプライトだろうが気にしなくなってきた。
好きで飲んでいるわけではないがとにかくお手軽なので、ついつい手が伸びるといった具合だ。
これは明らかに良くない習慣で、帰国後まで引きずることがないようにしたいと思っている。