2010年12月27日月曜日

9キロ太った

12/27 (月) 晴れ
 
日本に帰ってきて一番驚いたのは、自分がおそろしく太ったことだ。
風呂上りに体重計にのってみたら、留学開始前にくらべて5キロ増、昨年の今頃にくらべて9キロも増えていることに気づいた。
バンクーバーでは体重計を使っていなかったので、客観的に自分の体型を見つめることはなかった。
 
原因としては座りがちなふだんの生活と、カロリーが高そうな食事とにあると思う。
昨年の今頃は食生活が貧しかったのでやせてしまったが、今は食生活はかなり豊かになっている。
 
振り返ってみると予兆がなかったわけではなく、ストレッチをしようとしたら腹がつかえたとか、シャワーを浴びていたら両方の太ももどうしがすれることに気づいたとか、立ったまま靴下をはけなくなったとかいろいろある。
麻酔科医の仕事は基本的に肉体労働だしカロリーを消費するので、仕事に戻りさえすれば自然にもとの体型に戻るはずなので、現時点ではそんなに心配していない。
 

2010年12月23日木曜日

ささやかなお返し

12/23 (水) くもり
 
大家さんにクリスマス・プレゼントをもらったことは昨日書いた。
家族にまでもらったことだし、このまま日本に旅立ってしまうのはあまりにも申し訳ないので、お返しをすることにした。
 
そうは言ってもいいアイデアは思い浮かばず、とりあえず病院の帰りに City Square の花屋に寄ってみた。
すると店の前にポインセチアが売られているのを発見!
あまりにも安直すぎるような気もするが、それを買って帰ることにした。
 
しかし手頃のサイズが見当たらない。
ノート・パソコンを抱えた状態で混んでいるカナダ・ラインとバスを乗り継ぐことを考えると、大きくて重い鉢に入った花は持ちたくない。
以前に同じようにランの花を買ってひどい目に遭ったことがある。
 
結局はミニチュアサイズの、子供の小遣いでも買えるようなものにしてしまった。
秒読みに追われたあげくの苦し紛れの一手といった感じだが、今となっては仕方がない。
 
比較的早く家についたので、部屋を掃除して荷物をスーツケースに詰め込んだりした。
夕食はレバーの予定だったらしいが、お願いしてチキンカレーに変えてもらった。
他の店子たちはグラウスにスキーだかスノーボードだかに出かけており、会えずじまいだった。
 

2010年12月22日水曜日

意表をつかれたプレゼント

12/21 (火) くもり
 
いつものように夜 10 時ごろ階段を上がって水を飲みに行くと、大家さんに呼び止められた。
全く予期していなかったのだが、何かと思ったらちょっと早いクリスマス・プレゼントをいただいてしまった。
 
しかも自分だけでなく、ヨメさんや子供たちにまで・・・。
自分がいただいたのはスタバで売ってるマグカップとタンブラーで、うまく説明できないが、タンブラーみたいなのはちょくちょく見かけるもので、それにコーヒーを買って持ち運びすることができるようだ。
http://www.starbucksstore.com/products/shprodli.asp?DeptNo=8100&ClassNo=0035&SubClassNo=0262
 
自分が現在使っているのは象印マホービンで、毎朝ウーロン茶を入れて病院へ向かっている。
大家さんにいただいたタンブラーに店でコーヒーを注ぐ自分をイメージすると、なんか本当に Vancouverites の仲間入り(?)みたいな気がするから不思議だ。
 
ほかの店子たちは大家さんのお姉さんちのクリスマス・パーティに出席するので、その時に受け取ることになるのだろう。
自分はまもなく日本に旅立つので、ひと足お先にいただいたというわけなのだと思う。
 
プレゼントをいただいた時は「やったあ」という気分よりも、正直なところ「しまったぁ、オレ何も用意してないよ・・・」っていう感じ。
あたふたしてしまって本当に情けないのだが、明日じゅうに何か用意したい。
大家さんの誕生日の時もそうだったが、あたかも本当の家族のようにお互いのことに関心を持って与えたり与えられたりするのがどうやらホームステイというものらしい。
 

2010年12月21日火曜日

クリスマスイベント・イン・バーナビー

12/20 (月) くもり
 
M 君に誘われ、M 君がふだん通っている教会のクリスマス・イベントに行ってきた。
メトロタウンからバスに乗り、10分ぐらい行ったところにある超巨大な教会。
 
開演が7時だったのだが、なるべくいい席に着きたいということで早めに出かけ、教会の中で開演まで1時間半ぐらい待っていたと思う。
ふだん牧師が説教する2階建ての建物の中に舞台があり、教会のボランティアが5日がかりで家などの小道具をそこにこしらえたのだそうだ。
 
ダンスやオーケストラや劇も全てボランティアによるもので、4~5ヶ月かけて練習したと言っていたような気がするが、ここまでくると部活のようだと思ってしまう。
歌の様子をビデオに撮ったので、載せておくことにする。
 
劇はおおまかには理解できた。
会社を経営する超大金持ちの社長が主人公なのだが、たくさんの使用人を家に雇い、毎年クリスマスにパーティを開き、おいしい料理を食べて会話を楽しむような不自由のない生活を過ごしていたが、心に空しさが募るばかりで顔色がさえない。
家族が心配して精神科にかかるように勧めるが、医師は何も問題がないと言う。
 
たまたま見つけた教会にふらりと立ち寄り牧師としばらく会話をし、街で出会った聖書を持つホームレスが幸せそうにしているのを見て、立ち直るきっかけをつかむというストーリー。
残念ながら、劇の最高の盛り上がりのシーンにもかかわらず、牧師とホームレスのせりふがほとんどわからず、なぜ主人公が立ち直ったのか全然わからなかった。
M 君によると、牧師とホームレスはそれぞれ英国訛りがきつかったとのこと。
 

2010年12月20日月曜日

コリアンレストラン・イン・ダウンタウン

12/19 (日) くもりのち晴れ
先週はさぼってしまったが、2週間ぶりにいつものコースを走り、1時間0分12秒だった。
 
1ヶ月ぶりに M 君と一緒に晩メシを食べに、ダウンタウンの Shabusen へ行った。
しゃぶしゃぶを思い起こさせる店名だが実際は日本食もあるコリアンレストランで、焼肉、スシ、天ぷらなどがあった。
http://www.urbanspoon.com/r/14/181618/restaurant/Downtown/Shabusen-Yakiniku-House-Burrard-Vancouver
 
1年間もダウンタウンに住んだのに恥ずかしながら食い放題 (All you can eat) の店に入るのは初めてで、注文の仕方からして戸惑ってしまった。
テーブルの上に白い注文票があるので、注文したい料理の横に数字を書き込むということを学んだ。
 
麻酔のあとのピンクのコスト票を思い起こさせるものがある。
アナペイン 1V、ディプリバン 1V ・・・みたいな。
一皿あたりの大きさがわからないし、残すとチャージします・・・みたいなことが書いてあるので最初はおそるおそる注文したが、2回目からはもう慣れた。
 
小ぶりのイカの原型をとどめた焼き物を、M 君は恐れて食べることができなかった。
彼の目には、さぞグロテスクに映ったことだろう。
 
話し変わってウチの下宿だが、今日はロシアからさらに新しい “student” が1人来た。
15才だというが、自分よりもはるかに背が高い。
生物種が異なるわけでもないのに、ほんのちょっと人種が違うとこうもヒトの仕上がりが違うものだろうか?
不公平感を禁じえない。
 

2010年12月19日日曜日

クリスマス会

12/18 (土) くもり一時雨
 
日本語学校のクリスマス会があり、昨年に引き続き招待していただいた。
今年は昨年よりも全体の参加者が少なかったが、なぜか自分たちはあたかも VIP のように(実際に政府の VIP もいたのだが)指定席にありつくことができた。
 
長年にわたって日本語学校をさまざまな形でかげにひなたに支えている人たちがいる一方で、ボランティアとは言っても自分はせいぜい2年間を図書館で毎週ダラダラと過ごしているのが関の山といったところなので、かえって恐縮してしまう。
通称「ナンパ・クラブ」と呼ばれる英会話クラブを除けば日本語学校が唯一の日本人との交流の場なので、感謝しなければならないのは自分の方だというのは明らかだと思う。
 
クリスマス会は小さい子供たちの歌で始まり、日本にいる家族を思い出させられた。
いかにも本物っぽいサンタが現われ、子供たちは壇上でサンタからお菓子を受取り、サンタと写真におさまっていた。
大人たちにもお菓子が配られたが、ビールのつまみも入っていたのが自分としては本当に嬉しかった!
 
学校が治安の悪い場所にあることは以前にも書いた。
帰りはすでに8時近くあたりは暗かったため、 Hasting Street のバス停までダッシュしたことは言うまでもない。
 
バス停ではズボンと(下着の)パンツが中途半端にずり下がってお腹が見えて半ケツ状態の若い女の子がいて、彼女がタバコを吸いながら笑顔を向けてきた時は、正直なところいい気分はしなかった。
バスの中でもその女の子があっちへウロウロ、こっちはウロウロしており、リラックスすることができなかったことはもちろんのこと、自分がバスを降りるまで緊張感が高まっているのが自分でもわかった。
 

2010年12月18日土曜日

社交的な R 君

12/17 (金) くもり
 
ブラジルから来た R 君はとても社交的で話好きだ。
たくさんしゃべることで英語をものにしようという狙いもあるのだろうが、おそらくむしろ彼の陽気な性格によるものだろう。
 
今日は夕食の後で彼はスカイプでガールフレンドと話していたところ、わざわざ自分を部屋に招いて彼女に紹介してくれた。
ブラジルとは6時間の時差があり、向こうは真夜中で彼女がちょっと気の毒だったが・・・。
自分も R 君にバンクーバー・オリンピックのころの写真を見せたり、日本で撮った写真を見せたりして、まあ仲良くなったというわけだ。
 
去年の9月にこっちに来た時は社交的に振舞わなければいけないという、自分で自分に課した妙ちくりんなプレッシャーのために、精神的におそろしく疲れたことを思い出す。
そうは言ってもそう簡単に社交的になれるものでもなく、いつのまにか自然体を貫く(貫かざるをえない)ことになったけど・・・。
 
その点、R 君は無理なくみんなと仲良くできているところがすごいと感じる。
いいキャラクターは言語の壁を越えるという、いい見本のようなものだと思う。
 

2010年12月17日金曜日

終わらなかったデータ収集

12/16 (木) くもり
 
右の写真は、ずいぶん前にQueen Elizabeth Parkで撮ったもの。
この場所はあんまり華やかではなくて、ちょっとだけわび・さび系の味わいがあり、個人的には気に入っている。
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もうずいぶん前に、データ収集が年内には終わりそうもないことは書いた。
それでもずいぶん頑張って、ひょっとしたら年内に終わるかもしれないというところまで追い上げたのだが、今日の時点でやっぱり無理だということが明らかになった。
 
2週間ぐらい前に診療録保管庫の職員宛てにメールで送ったはずのファイルが、どうやら届いていなかったらしいのだ。
その前後にその人が休暇を取っていたので、あるいは受け取っていたにもかかわらずどこかに紛れてしまったのかもしれない。
 
今朝、「これで申し込んだ診療録は全部取り出したよね」と声をかけられて、はじめて連絡がうまく行っていないことに気づいたのだ。
もっとも仮に予定通り診療録を出してもらったとしても、データ収集を今までのペースでできたとは限らないのだけれども・・・。
肺移植は入院期間が半年以上に及ぶことがあり、診療経過が複雑きわまりない症例も少なくないのだ。
 
年明けはすぐにでもデータ収集を再開し、できれば早く終わらせてさっさと分析に取り掛かりたい。
残り時間は限られているので、有効に使わなければならない。
 

2010年12月16日木曜日

クリスマス気分

12/15 (水) くもりのち雨
 
まだクリスマス本番まで1週間以上あるはずだが、なぜか今日はクリスマス系の催し物が病院内外で多かったような気がする。
 
まず、年末ということで毎週水曜日の朝に行なわれるカンファレンスが今日はなく、オペ室の中のラウンジのようなところでクリスマスのブレックファストがあったらしい。
毎週水曜日はカンファレンスのために患者の入室時刻が遅いのだが、今日はその時間を利用してみんなで楽しんだというわけだ。
 
診療録保管庫の部署の職員は、昼間にみんなでおそらくお取り寄せのランチを食べていた。
ここでは全員がいっせいに飲み食いすることはふだんはなく、とても珍しい光景だった。
病院のフードコートではタレント・ショーが行なわれており、職員が参加して楽器を弾いたり歌ったりといった催し物が行なわれていた。
 
夕方は外科の医局でパーティが催されているようだった。
また、家に帰ると大家さんと R 君は大家さんの親戚の子供のクリスマス・コンサートに出かけており、留守だった。
 
たまたま偶然、今日がみんなにとって都合の良い日だったのだろうか?
あるいはひょっとして、今日は何かの記念日だったのだろうか?
こっちに来てから1年以上経ったものの、今ひとつ、カナダの生活リズムになじんでいないように感じる。
 

2010年12月14日火曜日

新しい "student" 到着

12/13 (月) くもり
 
お客さんは今までに何人か泊まっていったものの、自分がウチでは唯一の店子だった。
それが今日、新たな店子というか “student” がブラジルからやって来たので、ついに「後輩」ができた。
3回も飛行機を乗り継いで、16時間かけてやって来たのだそうだ。
 
軍人になるための学校に行っていたらしく、折り目正しくさわやかな感じがする。
まもなく自分が日本に一時帰国しても彼は居続けるので、大家さんとしても治安の面からも安心というわけだ。
たとえ泥棒が侵入してきたとしても、きっと彼なら撃退してくれるだろう。
 
その彼がコンセントにパソコンのプラグがささらないと言うので見てみたら、ブラジルのプラグは2本の間隔が日本や北米のものよりもずっと広く、板状ではなく円柱状だった。
これではささるはずがない。
 
「アダプター持ってないの?」と訊いてみたら、あっさり持っていることがわかり解決。
ポルトガル語のウェブサイトはなんか華やかでもの珍しかったが、彼がグーグルで検索する時は英語だったので、今考えてみるとたぶん、ポルトガル語と英語の変換機能を持っているということだったのだろう。

2010年12月13日月曜日

国際的 ○秒ルール

12/12 (日) 雨のちくもり
  
昨夜から朝にかけて強い雨が降り続き、今朝はジョギングをあきらめた。
フィットネス・センターに行くことも考えたが、なんとなく気乗りせずやめた。
 
大家さんに4週間分の食費込みの家賃800ドルを払おうとしたら、一時帰国の期間が2週間弱あることから140ドル返してくれた。
どうやら食費は1日10ドルで計算されているらしい。
 
返ってきたのは50ドル紙幣2枚と20ドル紙幣2枚。
今までほとんど20ドル札のみで暮らしてきたが、初めて財布の中にだいだい色の50ドル紙幣がおさまることになった。
だいだい色の紙が2枚もあると、なんとなく懐が暖かい。
 
夕方は大家さんの親戚の子供たちが来ていてにぎやかだった。
夕食後に大家さんの悲鳴が聞こえたのでなにごとかと思ったら、せっかく作ったマフィンを1個落としたとのこと。
 
しかし大家さんは「私の国(東南アジア某国)では、食べ物を床に落としても2秒以内に拾えば大丈夫なのよ。知ってた?」と言って、マフィンを元に戻そうとしていた。
日本では3秒ルールが最も広まっているはずだが、彼女の国は日本よりも清潔度に対する閾値が高いらしい。
 
幸いなことにそのマフィンはチョコチップバナナマフィンで、チョコチップの散らばり具合(全体に7個、中央に4個ひし形に並んでいた)から特徴を把握するのは容易だった。
記憶を維持することができれば、自分が望んで自分の口に入れることにはならないはずだと思う。
 
また、大家さんは「あんまり清潔に対して敏感だと病気になるって知ってた?」と、嗤うカイチュウの藤田先生がおっしゃっていることをそのまま自慢げに話していた。
さすがはわれわれの大先輩!
藤田先生の学説が日本から遠く離れたバンクーバーの一般大衆の間にも十分理解されていることがよーくわかった。
 
ついでながら、今日は Amazing Race のファイナルがあったのだが、期待通り女医のペア(たぶん麻酔科医)が優勝し、賞金の100万ドルをゲットしたことを備忘録に載せておきたい。
http://www.cbs.com/primetime/amazing_race/
 
毎週、レースの冒頭のシーンで彼女たちの仕事が紹介されるのだが、マスクや蛇管をいじっていることから、麻酔科医であろうと思われる。
最終回の今回は彼女たちの知性が随所で発揮される展開となり、まさに麻酔科医の面目躍如といったところだ。
 

2010年12月11日土曜日

ツリーの飾りつけ

12/10 (金) くもり
 
昨日は大家さんのところでホームステイをした初代の K さんちで鍋パーティーがあったので、オーガニックワインとビールを持って遊びに行った。
カナダにいても、やっぱり冬は鍋がいい。
白菜を食べたのはいつ以来のことだっただろうか・・・。
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今日は夕食のあと、クリスマスツリーの飾りつけの手伝いをした。
先日買ってきてサン・デッキに放置してあったもみの木の下の部分を、水をよく吸うようにと厚さ 1 cm ほどのこぎりで切ったのだが、これがまた固いの固くないのって、汗びっしょりになって握力がなくなるまでがんばって、ようやく切断することができた。
 
そのもみの木を固定するのが、また大変だった。
大家さんと2人がかりで取り組んだのだが、1人が 2 m 以上あるもみの木を支え、もう1人が容器の中央部に木を配置した上で横からねじで固定するのだが、なかなかうまくいかなかった。
 
根に近い部分の小枝を切断していなかったばっかりに木が容器の底についていなかっただけなのだが、それに気づくのにずいぶん時間がかかった。
その後、電飾などのさまざまな飾りつけを施したのだが、2時間近くかかってしまった。
 
家の中の壁とか天井の飾りつけは挫折したので、明日やることになった。
壁にねじをねじこんでそこに電飾を飾るつもりだったのだが、あまりにも壁が固くて刺さらなかったのだ。
最近、新しい店子のために部屋の改修工事をしているのだが、工事で出入りしている G さんに壁の穴あけをお願いすることになった。
 

2010年12月9日木曜日

データ収集・・・小休止

12/8 (水) くもりのち雨

 
先週はいつも診療録を用意してくれる職員が休みで、代わりの人が対応してくれたようだった。
ところがそれがかなりズサンな仕事っぷりで、出してくれたのが同じ患者でも違う手術の時の診療録だったり、数冊組みの診療録が1冊欠けていたりとか、いつもの職員ではありえないようなものばかりだった。
 
まともにそろっている分に関しては昨日までに終わらしてしまったので、今日は診療録の方は何もすることがなかった。
しかたがないので、電子カルテからのデータ収集に専念した。
 
それから、そろそろ始めないといけないと思っていたのだが、こちらの病院で作成した論文で以前にリジェクトされたものについて、修正してから投稿するという一連の仕事を手伝うことになってしまった。
自分の論文だったらアクセプトされるまで闘うのみだが、他人のものだと思うと今ひとつ気合いが入らない。
 
また、一見してダメそうな物を相応のレベルまで引き上げるには、追加実験も必要になってくるかもしれないし、手間もかかりそうだ。
まるでプロ野球の「野村再生工場」のようだが、今までやったことのない領域の作業なので、手探りでそろりそろりと始めるしかないだろう。
 

2010年12月7日火曜日

日本人研究者からのメール

12/6 (月) くもり

 
UBC の麻酔科の教授に頼まれて、日本人研究者にメールを書いたことはここにも書いた。
http://anesthmemorandum.blogspot.com/2010/12/blog-post_04.html
今朝メールチェックしていたらさっそく返事が来ており、教授に日本語訳をつけて転送した。
 
ありがたいことにメールには詳しい資料が添付されていた・・・らしい。
らしい・・・というのは、それは Photoshop のファイルなのだが、自分は Photoshop を持っていないので開けないのだ。
よくもまあ今まで、Photoshop なしで生きてこられたとも思うけど・・・。
 
教授と UBC の大学院生にとって、研究の方向性を左右する重要なメールだったらしい。
時間を割いて見ず知らずの自分たちにアドバイスを送ってくれた日本の先生に感謝するとともに、自分もいつかはそういう頼られる側の人間になりたいものだと思う。
 

2010年12月6日月曜日

クリスマスの飾りつけ

12/5 (日) 晴れ一時くもり

 
いつものコースを走り、初めて1時間を切る(59分49秒)ことができた。
写真はいつも周囲を走っている Queen Elizabeth Park の高台から、ノース・バンクーバーの山やダウンタウンの建物を撮ったもの。
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大家さんにつきあって、車でクリスマス・ツリー用のもみの木を買いに行った。
本物のもみの木を買うのは初めてだ。
Fraser Streetと 41st Avenue の交差点に学校があり、その一画が臨時販売所みたいになっていた。
  
日本で売っている人工物のクリスマス・ツリーぐらいの大きさを予想していたのだが、本物はずっと大きくて重かった。
買ったら販売所で、水をよく吸うようにと根っこの一部が切断された。
 
自分の背よりもずっと大きいもみの木を庭にでも植えるのかと思ったら、家の中に飾るとのことだった。
そのもみの木は現在はサン・デッキに放置されている。
数日以内に根っこをさらに切断して、大きな鉢に入れるのだそうだ。
 
夕食後にカラフルな電気のイルミネーションの飾りつけの手伝いをした。
道路より一段高くなった家の手すりのところにイルミネーションを巻きつけて点灯したら、なんとなくクリスマス気分になってくるから不思議なものだ。
となりの家は東南アジアの某国出身の夫婦が住んでいるのだが、いかにもそれらしい飾りつけでお国柄を感じさせる。
 
さすがにハロウィーンよりもクリスマスの方が、各家庭の装飾の気合の入り方が格段に上のようだ。
  

2010年12月5日日曜日

掃除機の故障

12/4 (土) 晴れ

 
日本語学校のボランティアから帰ってきて、部屋の掃除をしようとしたら、掃除機がいつもよりも汚れていることに気づいた。
別の部屋の renovation の最中なので、工事のあとで使ったからだろうとあまり気にとめなかったのだが・・・。
 
使い始めたら、全然ゴミを吸い込まない。
おかしいと思ってヘッドの部分を裏返したら、そのとたん、ゴミやチリがヘッドの部分が大量に噴き出してきた。
 
あせってスイッチを切ったらゴミの噴出は止まったのだが、部屋のじゅうたんがゴミだらけになってしまった。
ヘッドをはずせば普通に吸い込むので、明らかにヘッドの異常である。
工事のあとに吸い込みすぎて、ひょっとしたらヘッド部分がゴミで詰まったのかもしれない。
 
洗濯機も乾燥機も掃除機もそうだが、カナダの家電製品は悲しいほどアカ抜けてない。
日本の製品がキラキラして見える。
というわけでささいな生活のひとコマだが、ボロい家電製品を使って起きた悲(喜)劇を備忘録に残しておくことにする。
 

2010年12月4日土曜日

日本人研究者へのメール

12/3 (金) くもり 晴れ間あり
 
UBC の麻酔科の教授の一人が、日本人研究者に電話をかけようとしていたことは前に書いた。
http://anesthmemorandum.blogspot.com/2010/11/blog-post_27.html
電話をいきなりかけるのはちょっとアレなので、その時はメールで様子をうかがうように勧めた。
 
ところが実際にはその教授の知り合いがすでにメールを送っていて、あっさりと無視されてしまったのだそうだ。
どうも添付ファイルも送りつけたらしいのだが、英語メールで添付ファイルつきだったために、ひょっとしたら先方はウイルスを用心してメールを開けなかったのかもしれない。
 
検索してみると先方は某大学基礎医学系の教授で、莫大な研究業績を持つとともに、一般向けの講演を引き受けるなどかなりアクティブな人らしい。
そういう人に何の準備もなくいきなり連絡を取ろうとするのは困難なのだろうが、自分も乗りかかった船なので、日本語を駆使してメールの代筆を引き受けた。
返事が来るといいのだが・・・。
 

2010年12月3日金曜日

BCID カード

12/2 (木) くもりのち雨
  
B.C. Identification (BCID) カードを申し込みにダウンタウンに行ったことは、以前に書いた。
http://anesthmemorandum.blogspot.com/2010/11/blog-post_10.html
そのIDカードが今日届いた。
しかも普通郵便で・・・。
4週間かかることになっていたが、実際には3週間ちょっとで届いたことになる。
 
日本の運転免許証とは違い、写真は白黒でしかもサインが写真の上に乗っかっている。
床屋に行ったばかりで髪の毛が一番短い時期に写真を撮ったのは失敗だったかもしれない。
今と容貌が違って見える・・・ような気がする。
 
このIDカードと一緒に、ORGAN DONOR REGISTRATION と書いてある紙が同封されていた。
この用紙に記入すると、自分が死んだ時にドナーになれるらしい。
http://www.transplant.bc.ca/index.asp

ウェブサイトによると、患者が亡くなったら病院職員がインターネットで照会し、ドナーとして登録されているかどうかを調べるようだ。
そしてその結果が家族に知らされるとのこと。
http://www.transplant.bc.ca/odr_process_main.htm
 

2010年12月2日木曜日

最近の JOA

12/1 (水) くもり
  
大学でやった研究が Journal of Anesthesia (JOA) に採択され、ようやく日本でやり残した仕事全てから解放されることができた。
昨年の9月に休職するぎりぎりまでデータを集めていたように思うので、採択まで1年ちょっとかかったことになる。
 
その JOA だが、最近はレベルがどんどん上がっており、採択されるのが難しくなりつつあるのを実感する。
自分の論文が初めて JOA に採択されたのが 15 年ぐらい前だと思うのだが、その頃とは全く別のジャーナルのような感じさえ受けるし、査読を引き受けるようになったこの数年間でさえ、格段のレベルアップを感じる。
 
もっとも英語が母国語でない以外にとりたてて日本が欧米に劣る理由はないわけで、日本麻酔科学会のオフィシャル・ジャーナルがそもそも低く扱われなければならない理由はどこにもないのだけれど・・・。
物事はたいてい自分の予測よりも早く変化しているので、インパクト・ファクターを指標とした場合に JOA が Anesthesiology に 15 年以内に追いつく・・・と、ここで大胆に予言しておきたい。
 
JOA の優れた点は、きめの細かい査読にあると思う。
査読者がろくろく読まずに適当にリジェクトした・・・と感じることはない。
むしろ、おタクっぽい査読者に当たったと感じることはあるけれど・・・。
 
また、査読者のうちの一人が今ひとつよく内容を理解していなかった(著者が理解させることができなかった)としても、チーフ・エディターがその今ひとつなコメントをよく補うことができており、投稿者が納得のいく裁定を引き出すことに成功しているように感じる。
 

2010年12月1日水曜日

レバー

11/30 (火) 雨

 
ホームステイで食事が重要だということは以前に書いた。
料理がまずい、あるいは少ないのは論外として、基本的には大家の料理との相性が問題となる。
 
自分の場合はそれこそ大家さんの料理との相性は悪くないはずなのだが、今日の夕食が「レバー」だと知った瞬間、それこそレバーに一撃をくらったような衝撃が全身を貫いた。
「どうして?」、「何も悪いことしていないのに?」というのが最初の感想。
レバーの食感や味がどうも苦手で、焼き鳥屋でもあえて避けていたのに、日本から遠く離れたバンクーバーでで食べることになろうとは・・・。
 
でもひょっとしたらカナダのレバーは日本のとは違うかも・・・という淡い期待を込めて一口食べてみたのだが、やっぱり同じだった。
でもニンニクソースの味もけっこう強烈なので、臭みがあまり気にならないかも。
 
ニンニクソースがごはんと混じりあって食欲はそそられるのだが、レバーを食べれば食べるほど味がわからなくなり、最後のほうは何を食べているのかよくわからない状態だった。
なるべく味を意識しないようにし、心を空白の状態にして、とにかく根性で3枚食べた。
それから現時点で4時間近く経ったが、特に体調に異変は起きていない。
自分で自分をほめてやりたいところだ。
 
ホームステイを始める前に、食事で苦手なものがあるかどうか訊かれたのだが、その時思い浮かんだのは「とろろ」と「ゴーヤ」で、「レバー」に関しては軽視していたのは否めない。
ホームステイでは食事が命なので、これからホームステイを始める人には最初に慎重な対応を勧めたい。
 

2010年11月29日月曜日

クーポンと「神」のご意思

11/28 (日) くもり一時小雨
  
いつものコースを走り、1時間1分44秒。
走っている最中に中国人に呼び止められ、スイミング・プールのありかを尋ねられなければ1時間1分を切れた・・・と思うことにしたい。
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教会のパーティで、ワインまたはビールの25ドル分のクーポンが当たったことは以前に書いた。
有効期限が年内いっぱいなのでいつまでもぐずぐずするべきではないと思い、今日の午後、リッチモンドまで出かけてきた。
 
正確に言うと、実は先週土曜日の夕方、日本語学校のボランティアの後に一度は出かけてきたのだ。
ところがその時は土地勘が今ひとつで、もよりのカナダ・ラインの駅 (Aberdeen) からてくてく歩いたもののとうてい到着できる距離ではなく、あきらめて帰ってくるはめになった。
 
今日は前もってバスと電車の経路を調べていったから大丈夫。
準備万端の状態で出かけた。
 
ところが店についてから、思いっきりとまどうことになってしまった。
自分としてはBC Liquor のような小売店を予想しており、ワインを数本買うつもりだったのだ。
しかし実際は小売店というよりは市場で、ワイン30本単位でないと売れないと言う。
 
正確な値段はおぼえていないが、ワイン30本で最低でも160ドルぐらいだったと思う。
それを25ドル分割り引くというのが、店側の言い分だったというわけだ。
車でなく歩いていったので、たとえ160ドル払ったとしても持って帰ることはできそうもない。
 
しかたなく何も買わず、寒い中をとぼとぼと帰ることになった。
30本のワインは自分には扱いかねるので、このクーポンは教会関係の誰かに譲るしかないだろう。
 
教会のパーティで自分にクーポンをお授けになった「神」のご意思が、クリスチャンでもカソリックでもない自分にはとうていわかりかねる。

帰り道は本当にクソ寒かった。
「神」はなぜ私にこのような試練(?)をお与えになるのだろうか~??
 

2010年11月27日土曜日

雪かきの結果・・・有意差なし

11/26 (金) くもりのち雨

 
昨日の夜はそれ以前の数日間とくらべると暖かかった。
それでどうやら昨晩は寝ている間に雨が降ったようで、今朝出かける時には道路の雪は大部分が溶けてしまっていた。
 
昨日の夜、せっかく家の前の通りを正確にきっちりと自分の領域だとわかるように真四角に雪かきしたのに、今朝になったら境い目が全くわからない状況になっていた。
雪かきを上回る強烈な因子(雨)のせいで、周囲との差がもはや有意ではなくなったというわけだ。
 
むしろ雪かきをしたためにウチだけ壁際に雪がたまっており、かえって雪の処理を遅らせてしまったということになる。
隣人たちが昨日雪かきしなかったのは、こういう状況を読みきっていたのかもしれない。
またひとつ学んで、本物の Vancouverites にまた一歩近づいたような気がする。
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病院では麻酔科の某教授に、同じ領域で研究している日本人研究者に電話をかけるので、来週月曜日に手伝ってほしいと頼まれた。
先方が英語が堪能かどうかを確かめずに、日本時間の早朝にいきなり職場に電話をかけるつもりのようだった。
 
麻酔の導入中にいきなり見ず知らずの外人から電話がかかってきて、自分の研究について根掘り葉掘り質問されたら、さぞかし驚くだろうな~。
先方に悪気がないことがわかったとしても、不快な気分にさえなるかもしれない。
まずはメールで様子をうかがうことから始めたほうがいいのでは・・・と、アドバイスしておいた。
 

2010年11月26日金曜日

雪かき

11/25 (木) 雪のち雨 夜はくもり

 
朝めざめたらあたり一面に雪が積もっていて、しかもなお降り続いているところだった。
しかたがないので、ハイキングシューズをはいて病院へ出かけた。
 
昼頃、診療録からのデータ採取を終えて地下の資料室から出てきたら、まだ雪が降り続いていた。
フェローの研究室にはオーストラリア出身の麻酔科医がいて、雪が降っているということでテンションが高く、しきりに「クールだと思わない?」と同意を求められてしまった。
シドニーは雪が降らないらしい。
 
夕方には雨に変わっていたが、それもすぐに止んでしまった。
バス通りは車がたくさん通るので雪は残っていないが、一本入ると道は完全に雪に覆われていた。
 
夕食後、大家さんが玄関の階段を雪かきすると言うので、自分はふだん使っている裏の出入り口と裏通りを雪かきすることにした。
裏通りは15~20 センチぐらい積もっていたのだが、誰も雪かきした形跡がなかった。
 
日本での自分の住まいの真ん前が急な坂なので、雪が降ったらすぐに雪かきしないと車が通れなくなってしまったものだった。
誰から始めるでもなく家族や近所の人たちと一緒にやるのが、冬のひとコマみたいな感じだったが・・・。
 
カナダ全体のことは知らないが、バンクーバーでは自宅前の雪や落ち葉をそうじしないと罰せられるらしい。
だからというわけではないのだけれど、とりあえず人として自分んちの前ぐらいはやらないと・・・という気分から真っ暗な中を一人で雪かきをしてみて、楽しくはなかったけれども一応は達成感らしいものは得られたと思う。
 

2010年11月25日木曜日

クマに出会ったら・・・

11/24 (水) くもり一時晴れ
 
ハイキングシーズンが終わっても荷物の整理をしていなかったので、リュックの中身はずっと夏のままだった。
少しは整理しないといけないと思っていたら、"What about bears ?" という冊子が出てきた。
 
副題が "A guide to coexisting with bears" と書いてあるので、自然を保ちつつクマといい関係を築きながら共存していこうというのが主旨らしい。
パラパラと見ていたら、クマと出会った場合の対処法が書いてあったので、冊子を処分する前にここだけ備忘録に残しておくことにする。
 
1) 落ち着いて静かに立ち止まり、状況を見極めましょう。クマが襲ってくるのはまれだということを思い出して。
 
2) 落ち着いたしっかりした声で、クマに話しかけましょう。あなたの声で、あなたが人間だということに気づくかも。
 
3) ゆっくり後ずさりしましょう。走ってはいけません。走ると追いかけてくるかも。
 
4) ベア・スプレーを準備しましょう。どうやって使うか知っておかないと。
 
5) もしもブラック・ベアーが襲ってきたら、ベア・スプレーを使ってやりかえしましょう。あなたが簡単にえじきにはならないということを、クマにわからせるためにあらゆることをしましょう。
 
今でも思い出すと笑ってしまうのだが、一緒にハイキングに行った M 君が真顔で、「クマに出会ったら死んだふりをすれば大丈夫」と言っていたことがあった。
直感的にそれは間違っているとは思ったのだが、頑固な M 君を説き伏せるのは容易ではなく、クマが出てこないようにとひたすら祈っていたのも、今となっては遠い夏の思い出となってしまった。
 

2010年11月23日火曜日

氷点下の暮らし

11/22 (月) くもり

 
風が吹いていたということもあり、昨日よりも今日の方が格段に冷え込んだ。
昼間、ちょくちょく CBC のウェブサイトでバンクーバーの気温をチェックしているのだが、今日はだいたいマイナス5℃ぐらいで安定していた。
 
東京生まれ、東京育ちの自分としては、この氷点下の外気温がとても辛い。
東京では一日の最高気温が氷点下になるのは、ひと冬にせいぜい数回だからだ。
耳がちぎれそうな気がして、フードで頭をすっぽり覆い、背中を丸めて歩くはめになった。
 
図書館から借りてきた新田次郎の「芙蓉の人」を電車やバスの中で読んでいるのだが、いくらバンクーバーが寒くてもさすがに富士山頂よりかもくらべものにならないほどましだろうと思う。
海のそばなので高山病になるわけではないし、生命の危険はとりあえずはないだろう。
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Dancing with the stars のファイナルがあり、後半ちょっとだけ見た。
http://cdn.abc.go.com/shows/dancing-with-the-stars
大家さんはどうしてもブリストル(サラ・ペイリンの娘)に勝たせたくないらしく、自分にインターネットでジェニファーに投票せよと言う。
しかも権利のある5票全てをジェニファーにつぎこむようにとの、念の入れようである。
 
ところが何度挑戦しても、うまくつながらない。
北米じゅうの人たち、特にブリストルを支持するアラスカ州の熱狂的なサポーターたちがインターネット投票に殺到しているのかもしれない。
 

2010年11月22日月曜日

アパートのそばで飲んだ

11/21 (日) くもりのち晴れ
 
昨日の雪で歩道は凍っていたが、いつものコースを走り1時間2分8秒。
最初は他にジョギングしている人がおらず、すれ違う人に奇異な目で見られていたが、10 時半過ぎからしだいに人が増えていった。
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ハイキングによく一緒に行った M 君と、今夜は久々に飲みに行った。
彼は最近ダウンタウンに引っ越したので、以前から興味があった Hapa Izakaya (葉っぱ居酒屋)に行くことにした。
http://hapaizakaya.com/
 
開店時刻ちょうどに待ち合わせていたので店の中はすいていて、ゆったりとしていた。
店が広い上に店の中にまばらにテーブルが並べられているので、他の客を気にしないですむ。
前に行った居酒屋はカウンターにぎっしりと客が並べられ、まるで養鶏場のニワトリがエサをついばむような感じで辟易したことを思い出した。
 
ビールを飲んで久々に刺身や焼きうどんを食べ、なんとなく生き返ったような気がした。
ホームステイのメシはうまいのだが、そこはやはり日本食とは違うので、食事で「ふだんの自分」を取り戻すことは難しい。
 
今日行った居酒屋が前に住んでいたアパートのすぐそばだったのだが、不思議と懐かしい気分にはならなかった。
アパートの自分がいた部屋はカーテンが閉まっており、きっと誰か借り手がついたのだろう。
メキシカンとコリアンがいた部屋はカーテンが開いていて、真っ暗だった。
 
メキシカンとは連絡をとろうと思っていながら、まだ果たしていない。
すでにアパートを去ったのか、気になるところだ。

アパートの近くの Donburiya には本当によく通った。
テイクアウトして部屋でボソボソ一人で食べるのは当時は普通のことで別になんとも思わなかったが、今となっては単身赴任の孤独を思い出させる記憶以外の何物でもない。
http://www.urbanspoon.com/r/14/1473852/restaurant/Robson-Street-West-End/Donburiya-Vancouver
 

2010年11月21日日曜日

雪が積もった

11/20 (土) くもり 晴れ間あり

現在の住まいの近所のようす
 
前夜から雪が降り続いたらしく、朝起きたら雪が 10 cm ぐらい積もっていた。
正直なところ出かけるのは気が重かったが、ハイキングシューズをはいて出かけることにした。
カメラを片手に持ち、バス停までの間に何枚か写真を撮った。
 
バスが日本語学校に近づくにつれ、雪の量が少なくなってきていることに気づいた。
去年、ダウンタウンに住んでいたころはほとんど雪が降らなかったのに、メトロタウンでは積もっていたのを思い出す。
ほんの少し移動しただけで、天候がずいぶん違ってくるようだ。
 
日本では東京近郊にしか住んだことがなかったので、この時期にまとまった雪を経験したことは一度もない。
ここバンクーバではまだ 11 月だというのにしっかり降っていて、先が思いやられる。
大雪だった 2008 年の再来を恐れる人々が多い。
 

2010年11月20日土曜日

名人を作る雰囲気

11/19 (金) くもり一時雨、雪
 
朝出かける時、夜中に降った雪が薄く残っていた。
帰りに病院を出た時も、歩道にうっすらと雪のあとがあった。
このブログを書いている午後11時45分現在、外気温は摂氏0度。
本格的に寒くなりつつある。

先日届いた SIN のカードを秘書さんに見せ、コピーをとってもらった。
これで2年目の手続きは完了だそうだ。
昨日は来年8月までの医師免許が届いたし、もう何も心配することはなさそうである。
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日本語学校の図書館で借りてきた「一局の将棋 一回の人生」(河口俊彦著、新潮社)を読んでいる。
プロ将棋の棋士であり文筆家としても知られている著者が、同僚でありライバルでもあるさまざまな棋士たちの生きざまを描いた読み物である。
あまりにも古いのが惜しいが、人間の生き方は本質的にはそう変わらないので、時代を超えておもしろく感じられる。
 
将棋は麻雀とは異なり情報量が 100% 公開されているゲームなのだから誰にでも名人になるチャンスがあっても良さそうなのに、著者は「名人には選ばれたものしかなれない」と言っている。
ある棋士が若いうちに名人候補だと同僚(ライバル)に認められると、自然とそうなっていくような雰囲気ができ上がってくるのだそうだ。
 
そしてそのように大山、中原、谷川は本当に名人になったし、この本が出版された平成6年の時点で羽生を名人候補として挙げているのだが、実際、羽生はその後まもなく名人になっている。
ついでながら、本書では森内、佐藤、村山も同様に期待の新人として取り上げており、若くして亡くなった村山を除いた二人は名人となっているから、将棋界の場の雰囲気というのは間違いのないもののようである。
 
本書では大山十五世永世名人の生き方を、かなり辛口に描いている。
対局者は基本的には公平なはずなのだが、タイトル戦の際には大山の意向が一方的に尊重されるということが長く続いていたらしい。
日程や場所、パーティの段取りなども大山の気持ちひとつで何でも決まってしまうので、すでにその時点で相手はペースを乱されているというわけである。
 
そんな感じで大山の偉大な業績を考慮すると誰も異を唱えられなかったのだが、タイトル戦のパーティ会場で悪気もなく正論を述べたのが十六世永世名人となった中原だったというのがまたおもしろい。
そういう意味でも、彼は名人に選ばれたということになるようである。
 

2010年11月19日金曜日

診療録の厚さに思うこと

11/18 (木) くもりのち雨
バンクーバーから少し離れたところでは、雪が降っていたらしい。
 
診療録からのデータ採取が終わりに近づいていることはすでに書いた。
最初はカルテの構成さえよくわからなかったので気胸のような侵襲の小さい手術から始めたのだが、ついにここ数日は肺移植の診療録に目を通すまでになった。
 
侵襲の小さい手術では診療録が薄いし移植ではぶ厚いのだが、その差は自分が当初思っていたよりは大きくはなかった。
平均すると、気胸を繰り返す患者では1冊の診療録に3回分ぐらいの手術の記録が残っているのに対し、肺移植では1回で2~3冊分に相当するといったところだろうか。
 
しかし中には、肺移植で 15 冊分の記録が残される場合もある。
それは移植後にすんなり退院できなかったケースで、さまざまな合併症のために数ヶ月間以上の入院を余儀なくされたというものだ。
合併症対策がいかに重要かということを物語るものだと思う。
 
最近はこういう超ぶ厚いカルテからデータを採取することが多くなってきた。
あたりまえだが診療録は厚ければ厚いほど、データの採取は大変だ。
最初は苦労した気胸手術のデータ採取が、今ではとても楽に感じられる。
訓練の賜物かもしれないし、いわゆるプレコンディショニング効果なのかもしれない。
 

2010年11月18日木曜日

肺高血圧症と右心不全 講演会

11/17 (水) 雨のちくもり
 
Manitoba 大学から演者を招き、肺高血圧症と右心不全の周術期管理に関する講演会があった。
ASA などでもしばしば肺高血圧症関係の教育講演があるが、周術期管理に関する内容が薄いことが多いような気がしていただけに今回は期待がもてた。
 
肺高血圧症の分類について
McLaughlin VV et al. J Am Coll Cardiol 2009; 53: 1573-1619.
Table 1 に詳しく書いてある。
 
Transpulmonary gradient (TPG)
TPG が高いか低いかによって、病変の部位がわかる。
http://www.lsccardiacnetwork.nhs.uk/uploads/files/cardiac/training/presentations/invasive/Cardiac_Calculations.pdf
 
肺高血圧症の治療法
Farber HW et al. Pulmonary arterial hypertension. N Engl J Med 2004; 351: 1655-1665.
Barst RJ et al. Updated evidence-based treatment algorithm in pulmonary arterial hypertension. J Am Coll Cardiol 2009; 54: S78-84.
アルゴリズムがわかりやすくて役にたちそう。
 
肺高血圧症の予後
McLaughlin VV et al. Prognosis of pulmonary arterial hypertension: ACCP evidence-based clinical practice guidelines. Chest 2004; 126: 78S-92S.
肺病変で死ぬわけではない。右心不全が死因となる。
 
Transseptal gradient (TSG = LVESP – RVESP)
左室と右室は心室中隔を共有しているため、TSG を維持することが右室機能を保つ上で重要となる。
正常では 120 – 25 = 95 mmHg 程度だが、例えば 85 – 60 = 25 mmHg と下がってくると右心不全に陥る。
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Safeway にマフィンを買いに行ったら、今まで 3 ドル 99 セントだったのが急に 4 ドル 59 セントに値上がりしていた。
去年の9月以来、少なくとも 600 個は食べたと思うが、急に値上がりするとなんか仲間に裏切られたような気分になってくる。
 
また、SIN が work permit と同様に、これまた普通郵便で送られてきた。
万一、誤配があったらどうするのだろう??
 

2010年11月17日水曜日

なぜか強いブリストル

11/16 (火) 晴れ
 
月曜と火曜はテレビで Dancing with the stars を観ている。
プロのダンサーと有名人がペアとなって月曜日に踊り、視聴者からの投票によって火曜日に最下位のペアが1週ごとに失格していくというものである。
http://abc.go.com/shows/dancing-with-the-stars
 
これにアラスカ州の知事だったペイリンの娘 Bristol Palin が出ている。
素人目にもダンスは決してうまくないのだが、なぜか失格にならない。
彼女よりもずっとうまい有名人が、次から次へと脱落している。
 
まさか裏で政治力が働いているということはないのだろうが、実力とは不釣合いな、異常なまでに強大な支持を受けているとしか思えない。
ひょっとしたらアラスカ州の視聴者やアラスカに縁のある人々が、ことごとくブリストルに投票しているのかもしれない。
いずれにせよ、選挙の戦い方を知っている・・・という感じを受ける。
 
しかしそれにしても不思議なもので、依然として他の有名人にくらべて見劣りはするものの、この数週間は徐々にブリストルの実力が向上してきているのがわかる。
まさに地位が人を作る・・・っていう感じだろうか?
 
というわけで今日はセミ・ファイナルだったのだが、昨日ジャッジから満点の評価を得たブランディとマックスのペアを破り、まさかのファイナル進出となった。
おそるべし、ブリストルの勝負力!
しかしダンスの実力と投票の結果の乖離が著しく、正直なところ番組の興味が大きく損なわれているように思えてならない。
 

2010年11月15日月曜日

穴埋め作業

11/14 (日) くもり時々霧雨
 
いつものコースを走り、1時間0分50秒だった。
少しずつだがタイムが短縮している。
最初は苦しかった Queen Elizabeth Park 周囲の長い坂道にだんだん慣れてきて、今週はそれほど苦しさを感じなかった。
もっとも、公園からの帰り道が上り坂なので、なかなかいつもスピードを出し切るというわけにはいかないのだが・・・。
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医療端末からのデータ収集は一応は終わったのだが、改めて見直してみるとところどころに空欄があり、それらを埋める作業を始めている。
データ収集を始めたころは端末の使い方が心もとなかったので、自身のない箇所は後回しにしていたというわけである。
 
医療端末のありがたい点は、紙の診療録と違っていつでもどこでも参照できるという点である。
少しずつ確実にデータは集まっているので、遅くとも来年1月末には統計処理に入りたいと思う。
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今日は職場近くの Safeway で時々会う親切なレジの店員に、 “Are you working holiday?” と訊かれた(ような気がする)。
「ワーキング・ホリデー・ビザでこっちに来てるの?」と言ったのか、「休日なのに働いてるの?」と言っているのか、どっちなのかわからない。
 
二人っきりならそれからいくつか会話もできるだろうが、後ろにずっと客が連なっているとついつい面倒くさくて「イエス、イエス」と言ってしまうのが悲しい。
中国人をはじめとするアジア人がたくさんいる土地柄からして容貌から「ワーキング・ホリデー」と言ったとは思えず、外国人くささが抜けないあたりからそのように訊かれたというのが真相なのだろう・・・。
 

2010年11月12日金曜日

寒い夜と山岳小説

11/11 (木、祝) 雨
 
いろいろな人たちの話を総合すると、ホームステイの不満の上位3つは ①メシがまずい、②メシが少ない、③寒い ということになっているらしい。
このうちメシがまずいのは致命的で、あまりにもまずくて食べられないために外に食いに行かざるをえないというパターンもあるようだ。
これでは何のためのホームステイだかわからない。
 
現在の自分の状況は、メシに関しては味も量も全く問題がない。
ただ、がまんできない範囲ではないのだがちょっと寒いように思うことがある。
ちなみにここ数日間は、夜11時の時点で外気温はだいたい摂氏5度ぐらいとなっている。
 
部屋が寒い原因としては、自分の部屋は下にあるのに対して大家さんの部屋が上にあることが大きいと思う。
特に夜はそうなのだが、大家さんが下の部屋の気温の低下に無頓着になりがちなのである。
もっとも朝は5時ぐらいから暖房を入れてくれるので、顔を洗ったりコーヒーを飲んだりして出かける時は快適なのだが・・・。
 
先日、図書館で借りた「孤高の人」があまりにもおもしろかったので、続いて新田次郎の「聖職の碑」と「芙蓉の人」を借りている。
これらはいずれも山岳小説なのだが、とりあえずお腹が満たされていれば、多少寒い状態で寝ても(低体温症で)死ぬことはないようなことが書いてある。
逆に、寒い時に疲労と空腹の両方が同時に来ると、相当あぶなくなるようだ。
 
新田次郎の小説を読むようになってから、気のせいか寒さに強くなってきたような気がする?!
山の中と違って部屋の中は風がないし、服も濡れたままということはないので、なんとなくだが恵まれた気分にさえなってきてしまう。
階段をほんのちょっと登りさえすれば、食糧も無限に備蓄してあることだしね・・・。
 

2010年11月11日木曜日

「ビビリ」で思い出すこと

11/10 (水) 晴れ
 
電子カルテからのデータ収集がついに終了した。
紙の診療録からのデータは、80%ぐらいの進捗状況といったところだろうと思う。
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日本語学校の図書館で勧められて、小林信也著 「カツラーの秘密」(新潮文庫)を読んでいる。
スポーツライターである著者によると、勝負を前にしてビビッてしまう「ビビリの状態」というのは決してマイナスではなく、理想的な集中状態に入る一歩手前に訪れる歓迎すべき現象なのだそうだ。
 
つまりビビッたら自分が本気になっている証拠であり、いよいよ勝負に向かう準備が整った証しであると著者は述べている。
そのビビリを乗り越えれば、恐れを知らぬ集中状態が待っているとのこと。
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自分のことを振り返ると、当時はそういう理想的な状態だとはとうてい考えられなかったが、去年の9月、日本を発つ時は確かにかなりビビッていたと思う。
家族はもちろんのこと、友達や知り合いさえもいない外国で一人で年単位で暮らして行くということについて、考えない日は1日もなかった。
駐在員と違って、向こうで待っていてくれる誰かがいるわけでもないし・・・。
 
その出発の日、成田空港でエア・カナダのエコノミー席に乗り込んだら、前に座っていた人に席を交替してほしいと英語で頼まれた。
それは全く構わなかったので快く交替したのだが、その後でもとの席に査読を依頼されていた論文を置きっぱなしにしていたことを思い出した。
 
その論文を返してもらおうと思ったら、本当かどうかわからないがその客は医療メーカー勤務だとかということで、しつこく根掘り葉掘り仕事のことについて訊かれてしまった。
今だったらタダで自分のインチキくさい英語を聞いてもらえるんだと思って、喜んであることないこと話すのだが、当時は「こういう外人たちと毎日生活することになるのか・・・」と思い、ビビリが最高レベルに極まったのを思い出す。
 

2010年11月10日水曜日

ダウンタウンでの手続き

11/9 (月) くもり 雨降ったりやんだり
 
Work permit が届いたら秘書さんに見せることになっているのだが、秘書さんはずっと休んでいる。
パスポートなどの重要書類を持ち歩きたくないので、work permit を見せるついでにいろいろな手続きをダウンタウンで済ませようと思っていたのだが、一向に秘書さんが来ないので、しかたがないから手続きを先に済ませることにした。
 
まずは社会保険番号 (Social Insurance Number) を得る(更新する)ために、Hastings Street 沿いにある Sinclair Centre へ。
去年の9月に来たので、何となく覚えている。
 
受付で名刺大のペラペラの紙切れを渡され、そこに母親の旧姓などのいわゆる「秘密の質問」の答を書き込み、待つこと10分あまり。
呼び出されてパスポートや work permit を見せるだけで、超簡単。
古い SIN カードは期限切れとのことで没収された。
2週間もすると、新しいカードが郵送されるとのこと。
 
その後、B.C. Identification (BCID) カードを得るために、Georgia Street 沿いにある Driver Licensing Office へ。
こっちでは運転しないことに決めているのだが、免許証とは別に ID があると便利なことから BCID を作ることにした。
http://www.icbc.com/driver-licensing/BCID
ID のためだけに常にパスポートを持ち歩くわけにはいかないし・・・。
 
こちらは 15 分ぐらい待たされたが、手続きが始まったら早かった。
Primary ID として work permit を、secondary ID としてパスポートを見せた。
例によって「秘密の質問」に答えるほか、身長と体重も訊かれた。
仕事だからしかたがないのだろうが、太っている若い女の子にも「体重は何キロ(ポンド)?」って心を鬼にして真顔で訊くんだろうか?
料金は 35 カナダドルだった。
 
写真撮影もあっという間に終わった。
メガネははずさないといけないらしい。
ふつうは4週間で郵送されるとのことだった。
 
その後、道路の反対側にある H.I.S. へ行って、自分で使うのだがいわゆる「呼び寄せチケット」を購入した。
日本を発つ時は本当に生きて戻って来られるんだろうか・・・と、漠然と未来に不安を持ったものだが、こうして留学の終わりを意味する来夏の帰りのチケットを買っているのが、当時を思い返すとどうにも信じられない。
 
今日は雨でしかも風が吹いていたこともあって、なにやら寒かった。
明日からマフラーと手袋をつけて出かけることにする。
 

2010年11月9日火曜日

何で聞いてないの?

11/8 (月) 晴れ
 
今さらながら・・・という気もするのだが、よく知っている人に何かを質問した時に、「なんで(説明を)聞いていないの?」とか「(説明を)聞いていないからわからないんでしょう?」と言われると、ものすごく精神的ダメージが大きいことに気づいた。
聞こうと努力していたのに英語を十分に聞き取れなかったから質問した・・・ってことじゃ、ダメってことなんでしょうかね?
 
負のエネルギーが徐々に溜まっていくのを感じるが、これを何とか前向きに転換してさらに精進したい。
また、負のエネルギーを溜めこむことがないように、人との間合いには注意を払いたいとも思う。
 

2010年11月8日月曜日

サマータイムの終わりのひとコマ

11/7 (日) 晴れ
いつものコースを走り、1時間0分 55 秒。もうすぐ1時間を切れるかもしれない。
 
サマータイムの切り替わりはいつも日曜日なので、勤め人にとっては都合がいい。
しかし日曜日に教会などに出かける人たちは多少は緊張感を感じているみたいで、昨日パーティに行った時は大家さんにしつこく、「家に帰った時にもし自分が忘れてたら、時計を1時間巻き戻すように必ず言ってよ」と何度も言われた。
 
昨日は帰宅後に、自分も腕時計や目覚まし時計を全て1時間戻した。
こっちで買ったプリペイドのケータイは勝手に時間を合わせてくれるし、パソコンは太平洋時間に合わせてあるのでやはり自動的に調整してくれていた。
 
今日はバスに乗って本を読んでいたら、知らない人に時間をきかれた。
なぜかこっちの人は、自分が学校で習ったみたいに “What time is it ?” とは絶対にきいてこない。
今日も全部を聞き取ることができず、しかも何か前置きを長々と言っていたのだが、”what” と “time” と “have” が断片的に聞こえたので、時刻が知りたいらしいということはわかった。
 
「1時8分」と答えたら、また何か長々と言っていたが “time” と ”change” という言葉が断片的に聞こえたので、いわゆるサマータイムのことで悩んでいたらしい。
カナダの人ではなかったのかもしれない
その後で、「昨日だったら今、何時?」と奇妙なことをきかれたので、「昨日だったら2時8分」と答えておいた。
 
街中の公園や建物の時計はサマータイムを考慮していないものも多く、1時間ずれたものが平然と存在していることも日本とは違う生活のひとコマということになるのだと思う。
 

2010年11月7日日曜日

教会のパーティ

11/6 (土) くもり時々雨
サマータイムは今日で終わりなので、時計を1時間遅らせた。
 
大家さんとその親戚がみんなカトリックということから、親戚ぐるみで教会のディナーに誘われた。
教会が近いうちに建物を増築するので、その資金集めが目的なのだそうだ。
 
場所はリッチモンドにある中華料理のレストラン。
自分が最も新しい店子なのだが、初代の店子の K さんも来ていた。
料理は肉とか魚とかエビとか12品ほど出たが、全部本気で食べるとあっという間に腹いっぱいになりそうだったので、そこそこ手を抜いてつまみ食いした感じだった。
 
15 枚1組 10 ドルでチケットを販売し、抽選で賞品が当たる Raffle Prize という企画があった。
1等の商品が Apple iPad 、2等が Toshiba 32 インチ LCD HD TV などで大いに盛り上がったが、全部はずれた。
 
一方 Door Prize というのがあり、これは 60 ドルのディナーのチケットを買って参加した人なら誰にでも資格があるというもの。
こちらはなぜか最後の最後に、リッチモンドの飲み屋のビール/ワインの 25 ドル分のクーポンが当たってしまった。
ハイキングによく一緒に行った M 君を誘って、飲みに行こうかと思っている。
 
また 50/50 (フィフティ・フィフティ)という企画があり、これはやはり 15 枚1組のチケットを 10 ドルで販売し、その総売り上げの半分を教会がゲットし、残りの半分を抽選で当たった人が手に入れるというもの。
こちらも自分ははずれたが、当たった男性は太っ腹なことに手にした全額を教会に寄付していた。
 
その他、音楽あり、ダンスありでにぎやかな会だった。
老若男女問わずステージに上がって踊るあたりはやはり北米のもので、日本ではちょっと見られない光景だと感じた。
 

2010年11月6日土曜日

コンビニで休憩

11/5 (金) くもり時々雨 のち晴れ
 
ここ2日間も続けてブログの更新をさぼってしまった。
医学的に表現すれば、「特記すべきことなし」ということだ。
部屋と職場の往復で1日が終わってしまい単調な毎日の繰り返しということもあるし、こっちの生活に慣れてきたということもあると思う。
今後は小さな ”事件” でもいいので、なるべく書き残しておくことにする。
 
いつものように診療録からデータを採っていたら、自分の名前がオペ室の記録に麻酔科のアシスタントとして載っていたのに小さな感動を覚えた。
おそらく LiSA の連載の取材のために胸部手術の部屋に入った時に、ナースが自分をレジデントか何かと勘違いしたのだろう。
 
もよりの駅からバスに乗ったら、ふだん降りる停留所より手前で運転手が「数分間停車します」と言って、コンビニの中へ消えていった。
「おおっ! これが噂に聞いた『コンビニ休憩』かっ!」と、静かな感動を覚えた。
本物を見たのは初めてだ。
これでまた一歩、Vancouverites (「バンクーバーっ子」とでも訳すのか?)に近づいた。
 
最近2週間に読んだ本。
孤高の人 (上)(下) 新田次郎 著
ドナービジネス  一橋文哉 著
「孤高の人」は、インターネットやケータイはもちろんのこと、テレビさえなかった大正末期から昭和初期の人々のシンプルな生活が美しい。
 

2010年11月3日水曜日

初めてのチャーハン

11/2 (火) 晴れ
 
ホームステイを始めてから自分で食事を作るということがなかったが、今日は大家さんが出かけたので自分でチャーハンを作ることになった。
もっともふだんはそれでも作ってから出かけてくれるのだが、たまたま昨日、チャーハンの素とかインスタントみそ汁などが日本からたくさん届いた(感謝!)ので、今日はトライしようと思い立ったのだ。
 
やることはアパートにいた時と変わらないのだが、フライパンの質が全然違うことに気がついた。
アパートではどんなに油をふんだんに使ってもフライパンにあっという間にこげついてしまっていたのに、大家さんのフライパンは全然問題がなかった。
そういうところでも手を抜かれていたのだと、いまさらながらに気がついた次第・・・。
 
今日は一日中データ収集に集中することができたのだが、誰ともしゃべる機会がなかったような気がする。
大家さんもいないので、気がついたら情けないことにブーツを相手にしゃべっていた。
 
しかもその後、たまたまインターネットで見たのが「ねこばん」という番組。
http://nekoban.net/
孤独な時はなんとなくネコに癒されるというのが、本当に何となくだがわかるような気がする。
 

2010年11月1日月曜日

Trick or treat ?

10/30 (日) 晴れのちくもり 一時小雨
いつものコースを走り、タイムは1時間1分4秒。
 
昨年の今ごろはアパートで熱を出して苦しんでいたが、今はカナダの一軒家に下宿生活をしているところなので、必然的にハロウィンに参加することになった。
大家さんがキャラメルとかチョコとかをある程度買ってあったのだが、自分も24人分のお菓子が小分けになっている大袋を Safeway で買ってきて混ぜてもらった。
 
伝統的なカボチャのランタンを自作している家庭はほとんどなく、あったとしてもプラスチック製のものが多い。
http://en.wikipedia.org/wiki/Halloween
大家さんはランタンそのものを飾るかわりに、カボチャのポスターをドアに貼っていた。
玄関先の門を開け、玄関の外の電灯をつけることで準備完了。
誰がどうみても、「お菓子準備してお待ちしてます」というのがよくわかる。
 
夕方6時過ぎから玄関横のブラインドから外の様子をうかがっていたが、一向に子供たちが来る気配がない。
こっちがのぞいているのに気づいて、警戒しているのだろうか?
 
20分ぐらい粘っていたが来ないので、あきらめてアイスダンスのテレビ番組を見ていたら、大家さんが子供がこっちに来ていると教えてくれた。
最初のお客さんはプリンセスに扮した3才くらいの女の子で、すそが長いドレスを両手で持ち上げて、歩きにくいからなのだろうが大また開きで階段をダッシュして昇ってくるのが見えた。
 
トントンとノックしてくれたのでドアを開くと、ハアハアと息を切らしながら “Trick or treat ?” と言ってくれた。
予想通りの展開にもかかわらずなぜかうれしい・・・。
キュートな仮装にはお菓子を3コ、そうでもないのには2コと決めていたのだが、これが絶妙な配分で、合計 64 人の子供たちに配るとうまいことお菓子がはけた。
 
夜の行事ということもあるし、子供が他人の家に行くことから親の同伴が必須であり、小さい子供の場合はほとんどの親たちが玄関先まで一緒に来ていた。
年長の子供たちの場合は親は門の外で待っていたり、もっと大きい子供たちは親なしで徒党を組んで家から家へと練り歩いていた。
 
お菓子をあげる方はこれで終わりなので簡単なのだが、お菓子をもらった側は親による検分が必要なのだそうだ。
子供の口に入るものだし、こういうご時世なのでお菓子に毒や針が入っていないとも限らないということである。
 

2010年10月31日日曜日

ハロウィンの審査員

10/30 (土) くもり時々晴れ
 
ボランティアをしている日本語学校でハロウィンの仮装コンテストみたいなのがあり、審査員の一人に加わるように仰せつかった。
公正さという観点から父兄では好ましくないので、ボランティアである自分がご指名にあずかったようだった。
 
審査員は6人いたと思うのだが、1人ずつが賞をひとつずつ決めることになっていた。
「かわいいでしょう(賞)」とか「こわいでしょう(賞)」、あるいは「(日本語ではっきりと自己紹介を)言えましたでしょう(賞)」などさまざまな賞があったが、自分が担当することになっていたのはなぜかベストドレッサー賞だった。
 
ベストドレッサーとはほど遠い自分がそういうのを評価するのは何とも妙だし、主観が全てのような気がするベストドレッサー賞だけに責任が重いような気もした。
ただ、先生方に趣味と偏見を思いっきり前に出していいと言われたので、ちょっと気楽にはなったけど・・・。
 
参加者はみんなの前に出て日本語で自己紹介をするのだが、あらかじめ練習してあったのかみんな流暢な日本語だったので感心してしまった。
先生方や父兄の方も仮装していたので、全く普通のかっこうをしている自分が気恥ずかしくさえあった。
 
そんな中で自分が選んだのは、魔女に扮していた小学校低学年のお嬢さん。
帽子やかぶりものを着けているお子さんを選びたかったのと、奇を衒うことなく上品に着こなしている点を高く評価しました。
おめでとうございます。
 

2010年10月29日金曜日

"Monthly" が通じない

10/28 (木) 雨 降ったりやんだり
 
またまた英語が通じずに、いやな汗をじっとりとかく経験をした。
 
職場近くの Safewa● で、11 月分のバス・電車の1ヶ月定期を買おうとした時のこと。
“Can I have a one-zone monthly bus pass ? (1ゾーン用の1ヶ月定期下さい)” と言ったところ一発で通じたらしく、レジの店員が奥に引っ込んで行った。
1~2分ほどして彼女が戻ってきた時、彼女が手にしていたのは定期券ではなく、回数券(フェア・セーバー)だった。
 
“No. I need a MONTHLY pass. (1ヶ月定期がほしいんです)” と、”th” のところで思いっきりベロをかんで発音したのだが、彼女の返答は、
“Oh! You need three ! (3つほしいってことね)” というもので、思いっきり誤解されてしまった。
 
そこで今度は “MONTHLY PASS.” とゆっくりめにはっきり言ってみたのだが、
“Three-zone ? (3ゾーン用ってこと?)“ と逆に質問されてしまい、あまりにも通じないので絶望的な気分になってしまった。
この時点で、レジにはけっこう長い行列ができてしまっていたような気がする。
 
その後、何をどう言ったのかはっきりとは覚えておらず記憶が断片的なのだが、
“Do you know the word(ここで数秒ポーズを置いてから)‘MONTHLY’ ?”  と聞いてみたりとか、ほとんどサバイバル・イングリッシュ状態だったような気がする。
 
大家さんに言わせると「Safewa● には時々 stupid な店員がいる」とのことなのだが、その店員は自分の前に並んでいたお客さんたちとは楽しげに話をしており、stupid というわけでもなさそうだ。
あとから考えてみればマンスリー・パスなんて言わなくても、固有名詞として “One Zone FareCard” と言いさえずればすんなり通じたのではないかと思う。
 

2010年10月28日木曜日

ようやく届いた・・・就労許可

10/27 (水) くもり
 
帰宅したら、カナダ政府からの封書が届いていた。
きっと就労許可だろうとは思ったが、「○○の書類が足りないので至急送れ」の類の手紙だとショックが大きいので、期待する気持ちを抑えつつ開封した。
 
すると中から見慣れた紙切れが1枚出てきた。
ようやく待ちに待った就労許可が届いたというわけだ。
これで年末には堂々と出国して日本に帰れると思うと、うれしくてうれしくてしかたがない。
とにかくほっとした。
 
政府のホームページによると、オンラインによる就労許可の更新の場合は発行までの平均所要日数が 56 日間とある。
http://www.cic.gc.ca/english/information/times/canada/process-in.asp
自分の場合は申請したのが 8月31 日で届いたのが 10月27 日だから、配達に要する日数も合わせて58 日間ということになる。
ほぼ、平均なみか?
 
その就労許可は書留ではなく単なる普通郵便で届いたのだが、行方不明になったりすることはないのかと、今となってはどうでもいいことまで心配になってしまう。
 

2010年10月27日水曜日

戦争について考える

10/26 (火) 一日中雨
 
晩メシを食べたあと、たいてい大家さんと 30 分程度いろいろな話をすることになる。
自分としては「英会話レッスン」の時間として位置づけ、楽しみながら学ぶようにしている。
これもアパートとは違う、賄い付き下宿ならではのメリットと言えよう。
 
どういう流れだったか忘れたが、昨日はなぜか第二次世界大戦の話になった。
大家さんが東南アジアの某国からの移民だということは前に書いたが、戦争中に日本人がずいぶんとひどいことをしたと言う。
大家さんのお父さんも旧日本軍によって連行されそうになったのだそうだ。
 
自分には直接関係ない人々による所業だとはわかっていても、同じ日本人がしたことだと考えるといやな汗が背中や腋の下にじんわりと出てくるような気がしてならない。
こういう場合に最悪なのが自国の歴史を何も知らないという事態なのだが、幸いなことに自分はつい数ヶ月前に池上彰の「そうだったのかシリーズ」を続けて何冊か読んだばかりだったので、まあ何とか話についていくことができた。
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%B1%A0%E4%B8%8A-%E5%BD%B0/dp/4087461416
 
先日、日本語学校でのよもやま話で聞いたところによると、最近のカナダの子供たちは世界大戦が何回あったか知らないという。
決して無知なのがいいとは思わないが、戦争と隣り合わせに生活せざるをえず、戦争そのものが生活となってしまう状況にくらべれば、知らないことの方がずっと幸せであることにはちがいない。
 
戦争で思い出されるのは、半年ぐらいまえに英会話クラブで30才前後の受付の女性と話していたら、どういう話の流れだったかは忘れたが、真顔で「生まれは満州なんですか?」と訊ねられたことだ。
「満州?? って、オレはそんなジジイじゃねえっ!!」
と思わず声を荒げてしまったが、彼女が第二次世界大戦がいつごろ終わったか知らなかったことを、本来はどうでもいいことなのだがついでながら備忘録に残しておきたい。
 

2010年10月26日火曜日

寒さとハロウィンで思い出すこと

10/25 (月) 一日中雨
 
朝出かけようとしたら、外はすでに大雨だった。
巨大な傘をさして出かけたが、風も吹いているために雨が横から降ってくるような感じで、バスを待っている間にすっかりびしょ濡れになってしまった。
 
東京は今も昼間は 25 ℃まで気温が上がっているようだが、こちらはここ1週間は 最高でも11~12 ℃までにしかならないもよう。
さらにハロウィンが近づいてくると、去年のひどい風邪をひいた頃を思い出す。
熱が高いのに空腹に耐えかね、Safeway まで買い物に行ったらハロウィンの格好をしている若者でダウンタウンがあふれかえっていたっけ・・・。
 
今年は去年と違い、食事だけはとにかく確保されているので、栄養と睡眠をしっかりとって気持ちを強く持って生きていくしかないだろう。
どんなに寒くなったとしても、それでもまだトロン●よりかは暖かくて過ごしやすいはず・・・と自分に言い聞かせるしかない。
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引っ越してから2ヶ月以上経ち、ブーツが警戒を解いて妙になれなれしくなってきた。
今日は Dance with the Stars を見ながらデザートを食べていたら、デザートをよこせとばかりにいきなりブーツが膝の上に乗ってきた。
http://abc.go.com/shows/dancing-with-the-stars
ネコは笑わないしいつでも目が真剣だから、どうもやはり苦手だ。
 

2010年10月25日月曜日

雨の休日の過ごし方

10/24 (日) 雨 降ったりやんだり
 
今週の天気予報は全て雨だったので期待はしていなかったが、やはり予想通り今日も晴れなかった。
ノース・バンクーバーは雲が垂れ込めており、山の姿かたちさえ明らかではなかった。
 
しかたがないのでこの前と同様に Queen Elizabeth Park を2周ジョギングした。
最初はくもっていたものの途中で雨がはげしく降りだし、ずぶ濡れになってしまった。
所要時間は1時間1分 27 秒。
 
ハイキングはもちろんのこと、ジョギングさえもままならない雨の季節となってしまった。
去年やったインドアテニスでもやろうと思ったが、ダウンタウンのコミュニティ・センターのウェブサイトによると、ちょうど今日終わったところで 11 月以降は行われないらしい。
 
来年の春まではまだ先が長い。
何らかのいい楽しみ方を見つけたいと思っている。
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ついでながら日曜日夜恒例の The Amazing Race だが、先週に引き続き女医(おそらく麻酔科医)のペアがトップでゴールにたどり着いたことを、備忘録に残しておく。
http://www.cbs.com/primetime/amazing_race/
 

2010年10月24日日曜日

宗教の勧誘

10/23 (土) くもり一時雨
 
日本語学校へボランティアに行く途中の路上で、宗教の勧誘にあった。
バンクーバーに住み始めてから初めての経験で、道を尋ねたい人たちがいるのかと思ったりして、最初はわけがわからなかった。
 
彼らは親しげに近づいてきてパンフレットを差し出したのだが、それが中国語で全く読めない!
中国人が多い地域なので、自分のことを中国人だと思ったのだろう。
 
中国語は全く読めないものの表紙の絵柄とビックリマーク(!)から、も●みの塔が発行している「目ざ●よ!」だったことは間違いないと思う。
http://www.watchtower.org/j/publications/index.htm
英語版もあるということだったが、遠慮しておいた。
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ボランティアのあとダウンタウンで買い物し、カナダラインで帰ろうとしたらダイヤが混乱しており、Vancouver City Centre のプラットホームがものすごく混雑していた。
ようやく来た電車に乗ろうとしたのだが、満員電車に慣れていないせいか乗客は動きが緩慢で、いつまでもしゃべったりダラダラしたりしていてなかなかスムーズに降りてくれない。
東京だったらありえない光景だ。
 
しかも車両は昔の横浜線みたいに両側の扉の間に柱があり、そこに人が大勢つかまっているため、空いている奥の方に進むことができずにとてもストレスを感じた。
 

2010年10月22日金曜日

さすがはコンチネンタ●

10/21 (木) 晴れのちくもり 一時雨
 
ASA に行けなくなったので、ホテルと飛行機のチケットについてはキャンセルしたことは以前に書いた。
ホテルのキャンセルは容易だったが、飛行機についてはキャンセル方法が明確ではなく、宙ぶらりんの状態だった。
 
飛行機についてはコンチネンタ●を利用する予定だった。
5年くらい前に教官研修でボストンに行った時にコンチネンタ●を利用し、それ以来マイレージを貯めているからだ。
 
コンチネンタ●のホームページを見ると、多くのチケットは non-refundable だと書いてある。
https://www.continental.com/web/en-us/content/reservations/refunds/refunds.aspx
だから丸々の返金は無理だろうと思っていたし、多少の手数料を払うのは仕方がないとも思っていた。
 
自動的に払い戻しがされることはないので、お願いのメールをコンチネンタ●に送ったのが10月12日。
もちろん ASA に参加するつもりだったこと、就労許可が得られずに国外に出られないことなど、本当の理由を全て書いた。
 
そして8日後の昨日、手数料なしで全額払い戻すとの返事がコンチネンタ●から届いたのだ!
さすがはコンチネンタ●!
ユナイテッ●との合併を果たし日の出の勢いがあるところは違う・・・と感じさせられる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB%E8%88%AA%E7%A9%BA
 

2010年10月20日水曜日

ジグゾーパズルのような・・・

10/19 (火) 晴れのちくもり
 
閲覧のために診療録を請求すると、10冊のうちの 1~2 冊は手に入らないことがある。
ありがちなことだが、外科系担当医の診療録の記載に誤りや抜けがあり、加筆や修正が必要なために別の場所に保管してあるからだ。
 
そういう診療録がある場合は、診療録が来ないかわりに保管場所を示す紙片がはさまってくる。
自分が診療録保管庫に来ている時にそれを示すことで、1日限りだが閲覧が許されるというしくみになっているのだ。
 
実はその紙切れについては提示するのが面倒なので、ずっと放置していた。
あとでまとめて請求すればいいと思ったのだ。
ところが先週の金曜日、リサーチの担当の係員に保管場所はつねに変わりうるので、請求はすみやかにしないと困ると言われてしまった。
 
親切なことにその係員は改めてそれらの保管場所を調べてくれ、今日、その一部を出してきてくれた。
自分のデータの中の1から順番にふった患者番号のところどころに抜けが生じていたのだが、その抜けた場所に相当する診療録が届いたというわけで、あたかもジグゾーパズルのピースがはまっていくような気分の良さを味わうことができた。
 
今までがんばってきたが目標としてきた冬至までのコンプリートはほぼ絶望的で、立春までには終えたいと目標を下方修正しているところ。
 

2010年10月19日火曜日

Desperate Housewives

10/18 (月) くもり
 
日曜日の夜はテレビで The Amazing Race を観ているということは前に書いた。
http://www.cbs.com/primetime/amazing_race/
昨日はガーナから北極へと向かうレースだったが、自分が応援している女医のペア(たぶん麻酔科医)はビリになることなく無事に目的地に到着することができ、自分としては満足な結果だった。
 
The Amazing Race の次に午後9時から放送される Desperate Housewives がけっこうおもしろい。
http://abc.go.com/shows/desperate-housewives
日本では午後1時ごろ放送される昼のドラマのような感じで、それぞれに悩みを抱える主婦たちの日常を描いている。
 
Paul という名前の中年男性にはどうやら殺人の嫌疑がかけられているようなのだが、その役者 (Mark Moses) の怪しげな演技が真に迫っていて、思わずドラマに引き込まれてしまう。
そして Paul の心の内が読めない可憐な新妻があまりにもかわいそうで、感情移入せずにはいられない。
http://abc.go.com/shows/desperate-housewives/episode-detail/the-thing-that-counts-is-whats-inside/577147
 
英語が比較的易しいので、英会話力の向上にも役立つと思っている。
もっとも英語が完全にわかるわけではないので、時々は大家さんの解説がどうしても必要になってくるのだが・・・。
 

2010年10月18日月曜日

ネコの歯みがき

10/17 (日) 快晴
 
天気が良かったので、午前中は Queen Elizabeth Park のまわりを2周ジョギングした。
家との往復をあわせて、所要時間は1時間5分3秒。
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大家さんがブーツという名前のネコを飼っていることは前に書いた。
今日はブーツが汚れているということで、大家さんが濡れタオルで身体を拭こうとしたら、ブーツはあせって逃げようとしていた。
一度拭かれ始めたあとはおとなしくしていたけど。
 
その後、大家さんがブーツの歯を磨き始めたのだが、人間がネコの歯をみがくところを初めて見た。
歯ブラシは昔の銀行員や事務員が指にはめていたゴムに似ていて、指の腹側に短いブラシがついていた。
http://www.petsmart.com/product/index.jsp?productId=2752911
 
歯磨き粉はバナナのような色をしている以外は、人間のものとあまり変わらない。
http://www.lnt.com/show_product/11442-520259/?utm_source=googleaffiliate&utm_medium=affiliate&utm_term=520259
ビーフ味とかいろいろあるみたいだ。
 
ブーツの頭をぐいと押さえつけて、指を口にむりやり押し込み、歯をブラシでこすっていた。
「ブーツはこれが大好きなのよね~」と大家さんは言うが、あまり気持ち良さそうには見えなかった。
大家さんの親戚の小さい子たちもこの歯みがきをやりたがるらしいのだが、よくブーツが反抗して引っかいたりしないものだと不思議に思う。
 
ついでながら、大家さんが麻酔科医によるコーラスのビデオ “Waking up is hard to do” を紹介してくれた。
同僚たちとシェアしてほしいと言うので、ここにはりつけておく。
http://nottotallyrad.blogspot.com/2009/11/waking-up-is-hard-to-do.html
 

2010年10月17日日曜日

いかにも・・・な落し物

10/16 (土) 快晴
 
日本語学校の帰りにバス通りの交差点で、おそらく使用済みと思われる黄色いコンドー● が落ちているのに気がついた。
東京の住宅街だったりしたらびっくりだが、ここはイースト・バンクーバー。
さもありなん・・・といったところだろう。
 
このエリアを土曜日の朝9時前後に歩いていると、胸元がパックリ割れた薄着の prostitute と思われる女性に出会うことがしばしばある。
あえて批判をしようとは思わないが、毎週通っている割には全然慣れない異様な光景である。
 

2010年10月15日金曜日

カナダならではの汚い言葉

10/14 (木) 雨のちくもり
 
ここのところ2回ほど続けて、目の前で口汚い言い争いを見る機会があった。
 
まず、先週の土曜日、日本語学校からの帰りにバスに乗ったら、カナダ人とおぼしき女性客が中国系らしい高齢の女性客にしつこく質問をしているところに出くわした。
本来はバスは運転手がいる前方のドアから乗るのだが、どうやら中国人はバスの後方から料金を払わずに乗車したらしい。
 
最初は「チケット持ってるの?」といったような質問調だったのが、しだいに罵りの言葉となり、カナダ人は最後には “Go back to your country !” とバスの中で大声で叫んでいた。
中国人が何を言い返したのかは聞き取れず、実際にバスのチケットを持っているのかどうかもよくわからなかった。
叫んでいたカナダ人は薬をやっていたのかもしれないが、明らかに正気ではない感じだった。
 
月曜日に Grouse Mountain でスカイライドが壊れ、別のスカイライドに乗るために長蛇の列ができたことは以前に書いた。
この時は自分たちのすぐ後方で諍いがあった。
 
どうやら誰かが割り込みをしたらしく、アジア系の男性が大声で「割り込むな!」などと叫んでいた。
この時もやはり最後の一言は “Go back to your country !” で、土曜日と同様だったので記憶に鮮明に残った。
 
“Go back to your country !” は移民の国ならではの一言なのだろう。
またこれは諍いの本質とは関係のない言わずもがなの一言であり、自分のような一時滞在者に対しては効力は薄いが、一大決心で移民して苦労している人たちにとってはひどくこたえるもののように思われてしかたがない。
 

2010年10月13日水曜日

ASA キャンセル

10/12 (火) くもり
 
ついに ASA への出発3日前となった。
キャンセルに伴う費用を免れるためには、今日の15時までにホテルをキャンセルしなければならない。
もしも今朝就労許可が届いたら大家さんが電話をくれることになっていたが、結局届かず、ホテルと飛行機をキャンセルすることになった。
 
ホテルのキャンセルは容易だった。
飛行機のキャンセルも容易だったものの、返金に関する操作が複雑でよくわからずに苦労してしまった。
 
と言うのは、飛行機のチケットの料金体系がまず複雑なので、そもそも返金があるのかどうかさえよくわからなかった(申し込む前に確認したはずだが覚えていない)。
航空会社のウェブサイト上では、クレジットカードの情報を入力することで返金されるようなことが書いてあったが、何回操作しても全くうまくいかなかった。
 
暖かいサンディエゴに行って、新たな情報を収集するのはもちろんのことだが、うまい料理や酒を飲んで、クルージングをして楽しみたかった。
かえすがえすも、もっと早めに就労許可更新の申請をしなかったことが悔やまれる。
 

2010年10月12日火曜日

A Streak of Bad Luck in North Vancouver

10/12 (月・祭) 晴れのち雨 一時雪
 
昨日、大家さんのお姉さんの家で、新しい “student” と会ったことは書いた。
その C さんは英会話学校にこの1週間通うことになっているのだが、今日が唯一の休み(Thanksgiving Day で祝日)ということから、ビクトリアに行くつもりでいたらしい。
 
ところが今日の天気予報が良くないこと、ビクトリアが遠くて往復だけで時間がかかることなどから昨日のお客さんたちの中での評判は悪く、当人もだんだんやる気が失せてきたようだった。
そんな時、誰かが「ノース・バンクーバーはどう?」なんて意見を言った人がいたからもう大変!
 
うちの大家さんがよせばいいのに、自分に C さんを連れて行くようにと話をふってきた。
自分が今日ノース・バンクーバーに行くつもりだということを、パーティへの行きがけに言ったのをしっかり覚えていたのだ。
大家さんのお姉さんまで、「それじゃあ、よろしくね」なんて言ってくるもんだから、もうあとには引けない。
しっかりとお連れ申し上げることにしたのだが、C さんにとってはそれが良かったのかどうか、微妙な結果となってしまった。
 
C さんが今朝遅く起きたこと、ハイキングはあまり好きでないことから、自分は先に出かけて Grouse Grind をやることにした。
荷物がたくさんあるので急がず、1時間15分ぐらいを目標にしてゆっくり登ることにしたのだが、なぜか今日は調子がひどく悪く、2/3 ぐらい登ったところで両ふくらはぎがつってしまうというアクシデントがあった。
それからは休み休み登らざるをえず、結局は1時間18分8秒だった。
 
自分が着替えているところで C さんから電話があり、スカイライドで到着したとのことだった。
そこから一緒に Grouse Mountain の頂上をめざして歩き始めた。
 
空はくもっていたものの頂上の風車が最初はよく見えたのだが、みるみるうちに雲行きがあやしくなり、そのうち雨が降り始めた。
それでもずんずん登っていったのだが、頂上に着く頃には雪に変わっていて、景色を眺めるどころではなくなってしまった。
 
不運はその後も続き、なんと帰りの頼みの綱のスカイライドが故障してしまったのだ。
昼食を食べている間に妙に長い列ができていると思っていたのだが、それは帰る人たちが臨時で動くことになった青いスカイライドを待つ列だったのだ。
われわれも並ぶことになったのだが、乗るまでに2時間は待つはめになったと思う。
 
その後、バスで Capilano Suspension Bridge へ。
http://www.capbridge.com/
到着したのが 16 時半だったので、20% 割引で入場することができた。
17 時半の終了時刻まで、1時間しかいられなかったが・・・。
 
確かに吊り橋(写真)はよく揺れるのだが、自分としては Lynn Canyon の方がスリルがあったように思う。
http://lynncanyon.ca/
記憶は定かではないのだが、Lynn Canyon は手すりがもっと低かったような気がする。
もっとも Capilano では吊り橋以外にも見るべきところはたくさんあり、自然に触れて半日程度をゆっくり過ごすにはいいところだと感じた。
 
振り返ると、いろいろと予測できないアクシデントが続いた1日だった。
ノース・バンクーバーには自分はいつでも来ることができるが、C さんにとっては最初で最後のバンクーバーでの休日なので、本当に気の毒で仕方がない。
 

2010年10月11日月曜日

Thanksgiving Day

10/10 (日) くもりのち晴れ
 
本当の Thanksgiving Day は明日なのだが、今夜、大家さんのお姉さんの家でパーティがあるので、一緒について行った。
親戚一同が集まっており、その中に自分も含め日本人が4人ほどまざっていた。
パーティは参加者が食べ物を持ち寄るような形で行われたようだった。
 
その大家さんのお姉さんの家もホームステイを営んでおり、日本から来た “student” がいた。
なんとその “student” は今日エア・カナダで到着したばかりなのだが、一睡もせずにダウンタウンとスタンレー・パークに遊びに行き、そのまま帰ってきたところだと言っていた。
その割には全く疲れた様子もなく、おそるべき体力だと思った。
 
デザートが盛りだくさんで、それだけでおなかがいっぱいになるくらいだった。
特に抹茶ケーキがうまかったように思う
 

2010年10月9日土曜日

ASA ほとんどあきらめた

10/8 (金) くもりのち雨
 
就労許可が届かないために、ASA には行けないかもしれないということは前にも書いた。
申請を出したのが8月末で日数的に全く足りないので、自分としてはまあしかたがないと思っている。
その一方で、日本語学校の図書館のおネエさま方やウチの大家さんが電話をして交渉しろと言ってくれているので、まあ一度くらいは電話してもバチは当たらんだろうと思ったりもしていた。
 
それで昨日の夜に、Immigration Office の勤務時間外だとは知りながらも試しに電話をかけてみた。
http://www.cic.gc.ca/english/contacts/call.asp
するとまさに TOEIC のテストの選択問題のように、”For English, press one” といった自動音声の案内があり、いろいろな質問に答えるはめになってしまった。
結局は勤務時間外のために、係員と直接話すところまではいかなかったのだが・・・。
 
今日は勤務時間内に、昨日と同様にかけてみた。
一度体験しているだけに、今日は生まれた年とか就労許可の ID といった質問に次々と順調に答えることができた。
ようやく係員と話せるかも・・・というところにたどり着くのに約4分半かかった。
ドキドキしながら待ったが、「ただいま電話がたいへん混みあっています」という自動音声とともにブツッと電話を切られてしまった。
 
切られてしまった以上はもう一度かけ直すほかない。
また最初からいろいろな自動音声の質問に、4分半かけて答えることになった。
「係員におつなぎします」という音声のあとで呼び出し音が鳴ったと思ったら、再び「ただいま電話がたいへん混みあっています」という自動音声とともに電話が切れた。
 
日本のカナダ大使館にかけた時は、確か先方がかけ直してくれたと思う。
待たせるということさえさせずにすぐに電話切るっていうことは、たぶん Immigration Office は話さえもしたくないということなのだろう。
おネエさま方はこういう展開は予想していたらしく、それでも負けるな! っておっしゃって下さったが、ちょっとすでに自分は負けている感じがする。
 
帰宅後、大家さんに「サンディエゴはやっぱり無理そうです」と話したら、「まだあきらめるな」と説得されてしまった。
結局、来週火曜日の午前中に郵便が家に届くので、その結果でもってキャンセルするかどうかを決めることになった。
大家さんが自分のケータイに電話してくれるとのこと。
カナダに定住している人たちのタフさにはつくづく感銘してしまうが、そうでないと生き延びられない場所なのかもしれない。
 

2010年10月8日金曜日

新しいシンク

10/7 (木) くもり
 
大家さんが自分の部屋のためにテレビを入手してくれたことは前に書いた。
http://anesthmemorandum.blogspot.com/2010/09/blog-post_14.html
最長1年間も住むことになるための、格別のご配慮である。
もっともテレビにはケーブルがつながっていないし、自分は自室でテレビを見ないので、現在は「ただの箱」状態なのだが・・・。
 
同様のご配慮の一環として、地下の “student” のためのシンクを新しくしてくれるとも言っていたのだが、ついに今日、新しくなっていた。
シンク本体はずいぶん前に買ってあったのだが、オーストラリアから来ていた M さんが「オレにまかせろ」と(もちろん英語で)言ったものの挫折してから、けっこう時間が経過していた。
Plumber を呼ぶのはお金がかかるので、大家さんの知り合いの人に格安でお願いしたのだそうだ。
 
夕方は大家さんの親戚の子供たちが来ており、にぎやかな夕食となった。
おやつをたらふく食べていて夕食時におなかがへっていないとか、それなりに食べ物の好き嫌いがあったりとか、(貧しい国を除けば)子供たちは世界中どこでも同じだと感じる。
ぶ厚いハンバーガー用のパンにナイフで切れ込みを入れ、自分で具材を詰め込むハンバーガーは自分にとってはとても新鮮だった。
 
今日は研究室で主任教授に呼び止められた。
何事かと思ったら、ノーベル化学賞おめでとう! とのことだった。
ヤフーのニュースにも書いてあったが、化学賞はまさに日本のお家芸のようだと思う。
今さらしかたのないことだが、バンクーバーオリンピックの時に、主任教授に 金メダルおめでとう! って言ってもらえなかったことが惜しまれる。
 

2010年10月7日木曜日

毎月更新

10/6 (水) 快晴
 
明け方から雲ひとつない空で、南の空にはオリオン座、冬の大三角、北の空には北斗七星やカシオペア座がはっきりと見えた。
街灯がそれなりにあるので周囲はそれなりに明るいのだが、空気がきれいなために星がよく見えるのだと思う。
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8月末に1ヶ月間有効の医師免許が届いたことは前に書いた。
http://anesthmemorandum.blogspot.com/2010/08/blog-post_31.html
すでに10月になっているので、もう自分は医師ではないのだ・・・と思っていたら、今日、医師免許がまた届いた。
 
封を開ける前から秘書さんが「1ヶ月有効のライセンスが入ってる」と言っていたのだが、中を開けてみると確かにその通り。
10月31日まで有効と書いてあった。
いつものように、秘書さんに1枚預けた。
 
就労許可が更新されるまでとはいえ、毎月毎月医師免許を更新するなんて College of Physicians & Surgeons of BC も本当にご苦労なことですねえ。
・・・と書いたところで、就労許可が届いていないことを思い出した。
ASA に関しては、すでにあきらめムードが支配的となっている。
 

2010年10月6日水曜日

ネコが増えそう

10/5 (火) 晴れ
 
空気が澄みわたっているせいか、病院近くからノース・バンクーバーの山の木々の一本一本がはっきり見えた。
なぜか急に視力がアップした・・・と思ってしまった。
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まだ詳しいことはわからないのだが、大家さんが言うにはもうすぐ student が1人増えるらしい。
大家さんが言う “student” というのは自分も含め、間借りしている人のことである。
多くの “student” は本当に英会話学校の student であることから、そのように呼んでいるようだ。
 
今度来る “student” はちょっと変わっていて、なんと自分のネコを南米の某国から連れてくるというのだ。
ネコを連れて来ることからほとんどのステイ先に断られたものの、ウチの大家さんがネコ好きということから、ウチに来ることに決まったらしい。
 
自分がネコがどうも苦手なことは前に書いた。
家庭教師をしていた家に数十匹ネコがいて、鼻のアレルギー症状に悩まされたことと関係があると思う。
あと、ところ構わずひっかくし・・・。
 
さらに悪いことに最近「笑うカイチュウ」を読んでいて、ネコの毛や糞に原虫やカイチュウの卵がくっついているというようなことを知ってしまったために、さらに苦手になってしまった。
人間の仲間が増えるのは歓迎だが、ネコは正直なところ勘弁してほしい。
 

2010年10月4日月曜日

Lynn Peak 再び

10/3 (日) 雨のちくもり
 
天気予報どおりくもりだったが、朝はとりあえず雨が降っていなかったのでほっとしつつ、Lynn Peak をめざしてノースバンクーバーに向かった。
ところがバスを降りて Lynn Headwaters Regional Park へ向かう段になって、先週と同様に雨が降り出してきた。
今日はちゃんとハイキングシューズをはいていたし、昨日までは天気が良かったのでハイキングコースが濁流のようになっていることはないと考え、そのまま出かけた。
 
予想通りハイキングコースのコンディションは先週にくらべるとずっと良く、大家さんに借りた鈴をつけて登り始めた。
M 君の友達の情報によると、Lynn Peak までの登りは2時間半、帰りは1時間半ということだったので、それに合わせてペース配分した。
 
2時間程度で頂上近辺に近づいたことはわかったのだが、肝心の頂上をなかなか見つけることができなかった。
あっちへウロウロ、こっちへウロウロしているうちに、”1000 m Summit” というテープで木に貼ってある表示を見つけたが、あまりにも地味すぎるし、ハイカーが誰もいないし、全く景色の見えない場所にあるので、明らかにそれは頂上ではないと判断した。
本物の Lynn Peak は標高 992 m ということになっている。
http://www.vancouvertrails.com/trails/lynn-peak/
 
不完全燃焼の感は否めなかったが、仕方がないので帰ることにした。
最初はピンクのリボンの表示を頼りにもと来た道を歩いていったのだが、途中から黄色い四角の表示をあてにし始めてからしばらくして、道に迷ったことに気づいた。
人通りのない山の中なので、けっこうあせった。
しかたがないので、ピンクのリボンまで戻ることにした。
この時の心細さといったら、筆舌に尽くしがたいものがあった。
自分でも心臓がバクバクするのがわかった。
 
20 分ほどもとの道をたどっていたら、見覚えのある黄色い看板が目に入った。
その看板の裏には意外にも「Lynn Peak はこちら」と書いてあり、ひょんなことからついに頂上を見つけることができた。
天気が悪く何も見えなかったが、とりあえず頂上からの写真を載せておく。
 
頂上を見つけることができたのは良かったが、そこは実は来る時に通った場所で、ほかのハイカーが弁当を食べていたところだった。
そこは晴れていれば景色が望めるところだったが、あまりにもせまいことと、来る時は看板が目に入らなかったことと、2時間程度で着いてしまったことから、頂上だとは思わなかったのだ。
 
Goat Mountain の時は頂上に着く前に別の場所を頂上と勘違いしてしまったが、今回は誤って頂上を通り過ぎてしまったというわけだ。
日本とは違ってまさに頂上という場所に、「○○岳、標高××メートル」といった表示がないので、本当にまぎらわしい。
カナダではたとえ面倒に感じたとしても頂上かもしれないと思ったら、「あの~すみません、こちらは頂上ということでよろしいんでしょうか?」とそこにいる人に尋ねる必要があるとあると思う
 
登る時はどうやら本来のコースからいつのまにかはずれてしまい、思いがけず近道をしてしまったようだった。
そして自分たちが迷ったと思い込んだ場所は実は本来のハイキングコースで、結果からすれば全く問題のない状態だったらしい。
 
それでも山の中でたとえ一瞬でも迷ってあせったという精神的トラウマは簡単に消えることはなく、帰りは本来のコースを超慎重に引き返して行った。
本来のコースはどうやら大回りになっているみたいで、しかも M 君が右膝をまた痛めてしまったことから、帰りも2時間近くかそれ以上かかったと思う。
出発地点に戻った時の感動は大きく、「助かった~」としみじみ感じた。
Waterfront Station のバーで飲んだビールがうまかったことは言うまでもない。
 
日本のハイキングコースと違って、このノースバンクーバーのハイキングコースはよりワイルドで自然に近い状態で作ってあるように感じる。
油断していると、本当に簡単に迷ってしまう。
一人で行くことは絶対に薦められないし、できれば一度でも行ったことがある人と行くべきだと思う。
 
鈴についてはつけている人が他にあまりおらず、かなり目立っていたように思う。
“We are bears !” と言って襲い掛かってくる若いハイカーがいたり、一緒に歩いていたハイカーには「寺に向かうpilgrim (巡礼者)のようだ」と言われたり、”Sounds like Christmas” と言ってすれ違う人がいたりと、反応はさまざまだった。
 

2010年10月3日日曜日

でかい鈴

10/2 (土) くもりのち晴れ
 
夕飯を食べていたら、大家さんが「昨日は鈴を持っていかなかったのか?」と訊ねてきた。
確か1個持っていったはずと思ったのだが、「こういうのもあるよ」と言っていくつか見せてくれた鈴は巨大で、昨日借りていったのとはくらべものにならないほど大きかった。
 
音色も音の大きさも、ほかのハイカーが持っているのとほぼ同じだ。
これなら耳の遠いクマでも、きっと聞こえるはずだと思う。
 
「鈴をさがしてトイザらスとかロンドラとかに行ったんですが、全然みつからなかったんですよ~」と言ったら、「困ったことがあったらまず私に相談しなさい」と大家さんの力強いお言葉をいただくことができた。
 
今日は日本語学校の帰りにオークリッジのモールに寄って、ついにハイキングシューズも買った。
シーズンの終わりということもあり、定価の 25% 引きだった。
品数は薄かったけど・・・。
 
これで一応の準備は整った。
あとは天気がもつことを祈るのみ。
 

2010年10月2日土曜日

鈴を求めて

10/1 (金) 快晴
 
ハイキング・シーズンはもう終わりだと思っていたのだが、ここ数日、雲ひとつない快晴が続いている。
今日は空にうすい筋のような雲がわずかに見られ、山の向こうには厚い雲があったが、昨日までは本当に雲ひとつなかった。
 
この勢いだと週末は快晴とまではいかなくても、雨は降らずにいてくれるんじゃないかと期待してしまう。
現時点での週末の天気予報は、くもりとなっている。
http://www.cbc.ca/weather/s0000141.html
 
M 君からお誘いのメールが来たので、日曜日にもう一度 Lynn Peak にトライしてみることにした。
今度は準備をもう少ししっかりしないといけないと思い、今日はクマよけのための鈴を買いに出かけた。
 
が、あてがあったわけではなく、最初は職場近くのトイザらス、London Drug などを適当にさまよったが見つからず、スカイトレインに乗ってチャイナタウンの T&T まで行ったがなかった。
しかたがないのでブーツ(大家さんのネコ)の首輪でも借りていこうかと思っていたら、大家さんが引き出しの中から首輪の鈴よりも大きめのを貸してくれた。
 
あとはハイキング・シューズをどうするかが問題だ。
明日、考えることにする。
 

2010年10月1日金曜日

来なかった就労許可

9/30 (木) 快晴
 
今日は9月の最終日。
半ば覚悟はしていたが、やはり就労許可が来なかった。
 
オンラインでの手続きの場合は一応の目安として56日かかるらしいので、あと4週間ぐらいは待たなければならないということだろうか。
http://www.cic.gc.ca/english/information/times/canada/process-in.asp#temp_res
 
この就労許可更新を待つ期間はカナダ国外に出ることが許されないので、このままでは ASA はキャンセルせざるをえない。
せっかく楽しみにしていたのに、とても残念なことになりそうな雰囲気が漂っている。
それにしても、待つことしかできないというのはなんとももどかしい。
 

2010年9月29日水曜日

The Amazing Race

9/28 (火) 晴れ
 
研究が毎日地道に少しずつ進んでいることを除けば、現在は平和で変わりばえのない日々が続いている。
ブログに書くような事件も、何も起こっていない。
 
それでちょっと時期を逸したような気もするのだが、日曜日に始まったテレビ番組について書く。
The Amazing Race というアメリカの番組で、12組のペアが飛行機に乗って遠くへ行き、さまざまな課題をこなしながら目的地に着く早さを競うというもの。
http://www.cbs.com/primetime/amazing_race/
Dancing With The Stars と同様に、1週ごとに最下位のペアが脱落していくことになる。
http://abc.go.com/shows/dancing-with-the-stars/index
 
この Amazing Race に Nat と Kat という医師のペアが出場している。
彼女たちの仕事ぶりをこの番組で紹介しているのだが、オペ室でマスクや蛇管をいじっているところからして、どうやら彼女たちは麻酔科医らしいのだ。
同じ職種だということで、今後も彼女たちの奮闘を見守っていきたいと思っている。
 

2010年9月27日月曜日

Lynn Peak --- 挫折しました

9/26 (日) 雨 ふったりやんだり
 
ハイキングシーズンも最後だと思い、カナダ人の M 君と Lynn Peak へ行こうとしたが、結局は挫折してしまった。
 
Waterfront Station で待ち合わせし、SeaBus でノース・バンクーバーへ。
そこから 228 番のバスで Lynn Valley へ向かった。
Lynn Headwaters Regional Park の入り口を見つけるのに、30 分以上かかってしまった。
バスの停留所からまっすぐ歩きさえすれば良かったのだが、歩く距離は予想以上に長く、途中で余計なところで曲がったりしたために迷ってしまった。
 
入り口からは道は容易に見つけることができ、てくてく歩き始めたのだが、そのころから雨がだんだん激しくなってきた。
さらに困ったのは、Lynn Peak への道のりがだんだん険しくなるにつれて、昨夜からの雨のせいだと思うのだが、道の上の方から水がどんどん流れてきて、まるで濁流の中を歩いているような感じになってきたことだ。
 
道はすべるし足場が悪く崩れやすく、入り口から 40 分ぐらい歩いたところであきらめて引き返すことにした。
帰りの下り道は上りよりもさらにコンディションが悪く、よけいに時間がかかってしまった。
たいした靴をはいていたわけでもなく、準備も足りなかったように思う。
M 君は転倒しないように終始慎重に歩いていたが、かわいそうなことに帰りの SeaBus 乗り場であせって走ったために、思いっきりひっくり返ってしまった。
 
もう9月も終わりなので、おそらくよほどのマニアでない限りは、ハイキングは終わりなのだろうと思う。
秋から冬にかけての楽しみを見つけなければならない。
 

2010年9月26日日曜日

元気な子供たち

9/25 (土) くもりのち雨
 
日本語学校のボランティアから帰ってきたら、大家さんの親戚の小学生ぐらいの子供たち2人が泊まりに来ていた。
前に大家さんの誕生日パーティーで会った時はなかなかいい子たちだったが、今日は親もとを離れているせいか、子供らしく気持ちがいいくらいやりたい放題だった。
 
まず妹の方が自分の部屋に来て、いろいろと物色していた。
チョコのお菓子が目にとまったらしく、ひとつくれと言う。
1個だけあげるのもアレだからと、お兄ちゃんの分もあわせて2個あげた。
 
その後、夕飯前なのにいきなりフランスパンを 15 センチぐらい切って、2人でハムやチーズを塗ったくって食べようとしていた。
ナイフでパンを切ったりハムの袋を開けようとしているのだが、手つきが危なっかしくて手伝わずにはいられなかった。
 
隣の庭の梨の実を採ることになり、それ専用の道具を持って隣の家へ。
先端で枝を引っ掛け、手元のひもを引っぱることで先端を操作するのだが、それで実をとるたびに子供たちはバクバク食べていた。
おそるべき食欲・・・。
 
その後、夕食時にはなぜかお兄ちゃんはワイ●を飲んでいた。
妹の方はさすがにおなかがいっぱいだったのか、ろくろく夕食を食べずに食卓を離れたが、1時間後に自分がサンドイッチを作っていたらそれを食べたいと言い出し、さらに翌朝分のマフィンまで食べられてしまった。
 
子供らの英語はとにかく早口で何を言っているのかさっぱりわからなかったが、数時間も一緒にいるとだんだんと慣れてくるから不思議だ。
ついでながら、今夜のステーキはソースがとてもよくできていてうまかったのだが、その下ごしらえはお兄ちゃんがしたそうなので、彼の名誉のために備忘録に残しておくことにする。
 

2010年9月24日金曜日

Second Notice

9/23 (木) 雨
 
UBC からめずらしくメールではなく封書が届いた。
中を開けてみると “Second Notice” として、就労許可を更新したのならその旨を届け出るように、とのことだった。
そうしないといろいろと困ったことになりますよ、と脅しの文句が親切そうな表現で書かれていた。
 
同様の内容を3ヶ月前に送ったと書いてあるのだが、そんなものは受け取っていない。
それを本当に受け取っていればその時点でもっと早く更新に向けて行動できたかもしれないのに・・・と悔しく思うが、今となっては仕方がない。
 
秘書さんによると、就労許可の更新は3ヶ月以上かかることもあるとのこと。
更新待ちの状態では出国したら最後、カナダ再入国は認められない。
来月は ASA に行こうと楽しみにしていたのだが、キャンセルせざるをえない状況もありうるというわけだ。
 
日本のカナダ大使館で初めて就労許可を申請した時はそこまでは時間はかからなかったのに、カナダ国内からオンラインで更新するのになぜそんなに時間がかかるのか?
現時点では待つことしかできないのが、とにかく歯がゆい。
 

2010年9月22日水曜日

今日でちょうど1年

9/21 (火) くもりのち晴れ
 
今ようやく本日分のブログを書く段になって初めて気づいたのだが、今日でバンクーバーに来てからちょうど丸1年になる。
生活にはだいぶ慣れてはきたが、正直なところまだまだわからないことだらけで、大学生の初めての一人暮らしよりもさらにおぼつかないと思う。
 
例えば、Medical Services Plan にはずっと加入していたのだが、最近になってようやく CareCard がないことに気づいて再申請することになってしまった。
カナダに住んでいさえすれば国籍問わず誰もが知っている常識が決して身についているわけではないということを、改めて痛感させられた。
 
時々 TOEIC の無料模擬テストをやっているのだが、英会話力についてもリスニングやスピーキングの力が決して向上しているわけではないことに気づく。
もっとも現実に英会話をする際には、相手が言おうとすることを場面に応じてある程度予期できるようになったので(星飛雄馬の大リーグボール1号のようだが)、受け答えは多少はスムーズにはなったと思う。
 
大家さんが体調を崩したことは前に書いた。
声がガラガラになって咳き込んでいるが、自分もうつったらしくのどの調子がおかしい。
明日から水曜日の朝の講演会が復活するので、今日は早めに寝て体調を整えることにする。
 

2010年9月21日火曜日

Dancing With The Stars

9/20 (月) くもり一時雨
 
アメリカン・タレント・ショーが終わり、新番組が始まった。
“Dancing With The Stars” という番組で、さまざまな著名人がプロのダンサーと組んで、ダンスを競うというもの。
http://shows.ctv.ca/DancingwiththeStars.aspx
 
タレント・ショーと同様に辛口なジャッジがいて、10点満点で採点を行なう。
また視聴者が電話投票を行い、その結果、次のステージに進む人が決まるらしい。
 
芸能人のダンスといえば、ウッチャンナンチャンが出ていた番組が思い出される。
かすかな記憶では藤原紀香が出ていたような気がしたのだが、改めてウィキペディアを見てみたら実は杉本彩だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%8A%E3%83%AA%E8%8A%B8%E8%83%BD%E4%BA%BA%E7%A4%BE%E4%BA%A4%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9%E9%83%A8
 
ついでながら、さして混んでいないカナダ・ラインに人々が乗りたがらないのかがわかった。
夕方の帰宅の時間帯でも日本と違って慢性的に混んでいるわけではないので、次の電車を待つことで空いている車両に乗ることができる可能性があるのだ。
バスも同様で、2本続けて混んでいるということはそんなにない。
 

2010年9月20日月曜日

引き出し限度額

9/19 (日) 雨時々くもり
 
今日は休みなので、午前中は部屋の掃除をしたり、洗濯をしたりして過ごした。
ベッドのシーツや枕カバーなどを洗濯していたら、大家さんが洗濯したのを使わなくても、新しいのを出して交換して使っていいと言うので、そうさせてもらうことにする。
 
部屋の掃除は自分がするのがあたりまえだが、共有物や共有スペースのようなものはどうなっているのか、今ひとつあいまいなままである。
アパートの時は細かいルールがびっしりと書いてある書類を読まさせられた上に署名させられたが、ここにはそういうものは一切ない。
他人の家に下宿しているという実感がわく。
 
引っ越してからほぼ1ヶ月経つので、午後に軽く病院に行きがてら賃料を払うために銀行に行った。
カードでお金を引き出そうとしたが、どうも1日の支払い限度額が 500 ドルらしく、それ以上は引き出せなかった。
 
銀行の約款にそういうことが書いてあったのかもしれないが、英語なので読んでない。
日本では普通のやり方だと1日 50 万円までだったと思ったので、カナダは日本の 10 倍危険だから限度額が 10 分の 1 なのだと勝手に解釈することにした。
 
ついでながら、今朝は久々に Queen Elizabeth Park までジョギングした。
公園だけでなく行き帰りもアップダウンがはげしいので、とうてい平地のように早く走ることはできない。
ある程度の時間にわたって高い心拍数を保つことを目標に、ゆっくりめに走った。
往復プラス公園の外周で、42 分 40 秒。
このぐらいが適当なところだろうと思う。
 

2010年9月19日日曜日

中国人の床屋

9/18 (土) 雨時々くもり 一時晴れ
 
バンクーバーで初めて床屋に行った時にコミュニケーションで苦労したことは、昨年10月下旬に書いた。
http://anesthmemorandum.blogspot.com/2009/10/blog-post_25.html
そのイラン人の床屋には結局9ヶ月ぐらい通ったのだが、引っ越したので新たに見つける必要ができた。
今日は髪が伸びてきていいかげんボサボサなので、以前、Fraser Street で見つけた中国系の床屋に行ってきた。
 
店に入ると英語でない言語で何か話しかけられた。
中国語だったのかもしれない。
自分のことを中国人だと思ったのかも。
よくわからずにぼーっとしていたら、”Hair cut ?” と訊かれた。
手招きでようやくイスに座ることができた。
 
どのくらい短くするのかを説明するのに、イラン人の床屋以上に苦労した。
あの時は ”1.5 cm” で通じたのに、今日は全然だめだった。
床屋が電気バリカンのカバーを見せて、”サーティーン エムエム? (13 mm)” とか “シックス エムエム? (6 mm)” とか訊ねてきた。
 
手振りで “13 ミリメータ” と答えたら、「何だそれ?」っていう顔をしている。
どうやらミリメータとかセンチメータを知らないらしい。
来たことをハゲしく後悔したが、”Not really short ?” と訊くので “Yes, yes.” と答えたら何となく意思が伝わったようだった。
 
しかし髪を 13 mm だけ残して丸坊主状態にされたらたまらないので、いつでもストップできるように鏡を食い入るように見て散髪を受けることにした。
散髪が始まってみると思いのほか丁寧で、イラン人の床屋よりも良かったような気がする。
あまりの心地よさに、いつのまにかウトウトしてしまった。
 
終わって鏡を見せられ満足した旨を伝えたら、彼は満面の笑みだった。
エムエムには本当に参ったが、今度は散髪に関する中国語をマスターしてから行ってみようかと思っている。
 

2010年9月18日土曜日

誕生日を祝うこと

9/17 (金) くもりのち晴れ
 
M さんのお別れパーティーだけでなく、大家さんの誕生日パーティーが連日続いたことはすでに書いた。
自分は疲れたが、大家さん自身も疲労のためかついに倒れてしまった。
 
そのため、今日の夕食は中華のデリバリーだった。
おかゆみたいなのとワンタンスープ、リブ肉などなど。
味も濃い目でしかもふだん食べないものだったので、とてもうまく感じられた。
 
夕食の間、大家さんの電話がひっきりなしに鳴っていて、親戚や遠くの友人が休むまもなくおめでとうと言ってくる。
そして応接間のテーブルの上には、カードやプレゼントが山盛り状態だ。
そういうおめでとう攻撃がよほど嬉しいらしいので、自分もついついカードとプレゼントを贈ってしまった。
 
年配の女性だろうと誕生日はしっかりきちんと祝うのが、どうもこちらのやり方らしい。
4~5人いる麻酔科の秘書さんたちもそんな感じで、秘書さん自身だけでなく主任教授の誕生日には必ずその主役を取り囲んで、Happy Birthday to you を全員で歌っている。
 
以前、主任教授の秘書さんがたまたま自分たちの居室のまん前にいて、何か作業をしていたことがあった。
その居室は透明なガラスで仕切られたせまい区画なので全て丸見えだったのだが、やはり4~5人の秘書さんが彼女をずらりと取り囲んで、自分のすぐ目の前で “Happy Birthday” を合唱し始めたのは驚いた。
 
当時は今よりもただでさえ緊張の毎日だったのに、ガラス越しに外人(本当はカナダでは自分が「外人」なのだが)にぐるりと取り囲まれたような感覚があり、心拍数とおそらく血圧も一気に上がった覚えがある。
 
少なくとも自分は、日本ではなかなか年配の女性に「お誕生日おめでとう」とは言いずらい。
「またさらにバアさんになったよ」などとニヤリとされようものなら、「そんなことはないです、とってもお若いですよ」とも、「左様デゴザイマスネ」とも言えないからだ。
 
来週は大家さんのお姉さんの誕生日パーティーがあるらしい。
いくつになっても誕生日を盛大に祝うのはある意味とても爽やかで、見習うべきことなのかもしれない。
 

2010年9月17日金曜日

静かになったホームステイ

9/16 (木) くもりのち雨
 
ふだんは話し好きな M さんのおかげ(せい?)でにぎやかなホームステイだが、今朝、M さんがシアトル経由でオーストラリアに帰っていったので、夕方帰った時はうそのように静まりかえっていた。
いつもは気にならないブーツの鳴き声が、やけに大きく感じられる。
 
ここのところほとんど毎日のように M さんのお別れパーティーまたは大家さんの誕生日パーティーで、睡眠不足と重なって体力的にとてもきつかった。
本当にまるで高橋留美子の「めぞん一刻」のような宴会続きだった。
アパートのパーティーに懲りてアパートを出たのに、結局はそういうものからは逃れられない運命だと悟った。
 
大家さんにしても M さんにしてもすでにリタイヤしている世代なので、時間に余裕があるのだ。
だいたい11時過ぎまで飲んで騒いでお開き・・・というパターンが定着している。
 
今日は平常の毎日に戻り、夕食のあと30分ほど読書をして、仕事の残りを片付けてメールおよびブログを書くことができた。
時間を有効に使うことができると、たとえ疲れていても気力と体力が回復してくるような感じがする。
 

2010年9月15日水曜日

いわゆる「満員」電車

9/14 (火) 晴れ
 
昨日は夜遅くまで作業し、ようやく総説を投稿することができた。
締め切りを過ぎてまで、欧州某国の有名麻酔科医からの図の引用許可を待っていたのだが、結局は1週間という時間をムダにしただけに終わった。
 
疲れ気味ということもあって、今朝はふだんより1時間遅い6時半に起きた。
パンとコーヒーで軽く朝食を済ませバスで駅まで行くと、いつになく混んでいる電車がやってきた。
そうは言っても、東京の通勤電車にくらべると全然たいしたことはないのだが・・・。
 
自分の前に乗車口付近にいた2人は、あっさりと乗るのをあきらめてしまった。
実際に乗ってみると逆の戸口の方は全然空いており、さらにあと2~3倍は人を詰め込めそうな感じだった。
 
東京で通勤していると乗車口で足場を確保したり、そのあとでカバンを押し込みつつ勢いをつけて上体をすべりこませたり、痴漢に間違えられないような姿勢を工夫したりといろいろな技が身につくが、こちらの通勤電車はそういうのとは全く無縁の世界のように思える。
 

2010年9月14日火曜日

テレビが来た

9/13 (月) くもりのち晴れ
 
ここにはかつては4年間ホームステイしていた人もいたそうだが、自分のような最長で1年間というケースも実は長い部類に入るらしい。
それで先日、大家さんが自分の部屋にテレビを購入してくれると言っていた。
もっとも自分はテレビをそんなに見ないし、見る時はみんなでリビングでワイワイ言いながら見る方が楽しいので、固辞していたのだが・・・。
 
夕食前に帰ると、大家さんが近所の人といっしょにサンデッキで談笑していた。
どうもその近所の人が craigslist で、テレビを無料で手に入れてくれたそうだ。
http://vancouver.en.craigslist.ca/
 
薄型テレビとはほど遠い「ぶ厚い」テレビだが、そこまでしてくれたのなら・・・と、ありがたく頂戴した。
大家さんはコンセントさえ差し込めば、全てのチャンネルは無理でもニュースぐらいは見えるはずだと言う。
 
さっそく試してみた。
コンセントを入れてスイッチを入れると、全部で60個以上あるチャンネルのうち、3つ映った。
ひとつは中国語、ひとつはフランス語、もうひとつは英語のコメディ・・・。
 
どんな言語でもそうだと思うが、コメディを理解するのは超難関中の難関だ。
なんでみんな笑ってるんだろう???
オードリーみたいなのが出てくればそれだけでおもしろいんだろうけど、こっちのコメディーは身体を使ったお笑いじゃないし、何がおかしいのか自分にはさっぱりわからない。
 

2010年9月12日日曜日

BBQ のこだわり

9/11 (土) くもりのち雨
 
日本語学校のボランティアから帰ってくると、大家さんが BBQ をするので火を起こすのを手伝ってほしいと言う。
日本にいた時は新聞紙と薪で火を起こし、その後で炭を加えたかなあ・・・などと記憶をたどってしまった。
 
実際には M さんが仕切りたがっていたので、彼の手伝いをすることにした。
M さんは新聞紙を敷かずに直接墨を入れ、そこにスプレーで油のようなものをまいて、火をつけようとしたが、なかなか安定しない。
カナダはそうやるのかと思って最初は見ていたが、やっぱり新聞紙を敷くのが良かったようで、その後は強い火力を得ることができた。
 
BBQ が始まってからが大変だった。
M さんがやろうとしているところに大家さんと、さらには歴代の homestay 第一号の K さんまでが加わって、どのように BBQ をやっていくかで激しく論争していた。
アルミホイルや肉の置き方、油の引き方などそれぞれが一家言をもっているみたいで、お互いにやり方を譲ろうとしない。
それは自分が肉を裏返す動作にまでおよび、手首のひねりが遅いと注意されてしまった。
 
それでも何となく妥協案というか折衷案ができあがり、安定して肉が焼けるようになってからは、誰も文句を言わなくなったというか関心を示さなくなった。
仕切りたがる人がいたり横から口を出す人がいたり、このあたりは日本と何らかわらないと思う。
 

2010年9月11日土曜日

続・突然の変更

9/10 (金) くもり
 
ふだんの朝の通勤では、バスと電車(カナダライン)を使っている。
まず家から大通りまで出て右折し、そこから100メートルほど通り沿いに歩くとバス停に着く。
その時、大通りの進行方向の右側の歩道をてくてく歩くので、バスが来ないか後ろを振り返りながら(車は右側通行)バス停まで行くことになる。
バスが来るのがちょっとでも見えれば、もちろんバス停までダッシュするわけだ。
 
ところが今朝、そんな感じでいつものバス停に行こうとしたら、なんと大通りに出たすぐのところにバス停が生えていた。
日本ではありがちだが、ひょっとしたら酔っ払いが動かしたんじゃないかなんて思ったが、しっかり根元はコンクリートに埋まってた。
もちろん、「バス停変更のお知らせ」なんていうものはないので、ひょっとしたらバスが止まらないんじゃないかなんて思ったが、バスはなんとなくためらいがちに止まってくれた。
 
ここに引っ越してきたばかりの頃は、昨日までバス停があった場所に、バス停のポールが地面に横に転がっていた。
きちんとコンクリートに埋まって直立したのは、引っ越してから2日後ぐらいだったと思う。
この下宿にいた日本人の A 君がうれしそうに、「通り沿いに歩くとバス停が転がってる」と教えてくれたのを思い出す。
 

2010年9月10日金曜日

ひとりきりの夕食 --- 楽しいひととき

9/9 (木) 晴れ
 
オーストラリアから来た M さんがもうすぐ帰ることから、大家さんやM さんを含むアジア某国の移民者仲間で今夜は出かけて行った。
ふだんはみんなと一緒に夕食を食べるが、したがって今日は自分ひとりきりの夕食である。
大家さんが出かける時は、そうなることが多い。
 
さびしいことはさびしいが、ひとりきりの自由な時間も悪くない。
アパートの時とちがって変な緊張感もなく、パソコンで日本語のドラマを観ながらゆっくりと食事をした。
ドラマの名前は忘れたが、主人公の夫が10年後の世界からやって来て、自分との結婚を妨害しようとする話。
ありえない話だが、食い入るように見てしまった。
 
大家さんのネコ(ブーツ)を家の中に入れるように頼まれていたので、7時過ぎに玄関を開けて「ブーツ!」と叫んでみる。
マタタビの袋を振っても反応なし。
8時前、同じことをするもやはり反応なし。
 
8時半、同じように叫ぶと、今度は暗がりの中を通りの向こうからダッシュしてくる生き物が見えた。
必死に生垣をくぐりぬけ、一目散に階段を昇って駆け寄ってくる。

イヌが飼い主のもとに走ってくるのはよく見るが、ネコが走ってくるのは初めて見た。
正直なところネコはあまり好きではないのだが、あまりにも急いで走ってくるので、この瞬間はかわいいやつだと思ってしまった。
 

2010年9月9日木曜日

突然の変更

9/8 (水) 晴れ一時雨
 
最近は週に1回のペースで英会話クラブに通っている。
つまり、週1回しかダウンタウンに行っていない。
 
今日は英会話クラブに行くため、1週間ぶりにカナダラインの Vancouver City Centre で降りた。
階段を昇って地上に出ると、いつもと違う風景が・・・。
歩行者天国だったはずのグランビル通りに、バスが走っているのである。
 
バスの経路が変わるのはしょっちゅうなのでそんなに驚かなかったが、人がバスにあやうく轢かれそうになっていたのには驚いた。
おそらく、バスが走るようになったことに気づいていなかったのだろう。
左右を確認することなく道路に飛び出したような感じだった。
英会話クラブに行ってバスのことを話したら、受付の女性もやはり轢かれそうになったと言っていた。
 
バスに限らず、ここでは突然いろいろなことが変わる。
特に公共料金がそうだろう。
マンスリー・パスの値段はしょっちゅう変わっているようだ。
グラウス・マウンテンのスカイライドの値段も、シーズン途中に突然倍増していた(怒)。
 
歩行者天国をやめるのであれば、せめて1ヶ月ぐらい前から予告すればいいのにと思う。
日本だったらきっとそうしていることだろう。
でも実は予告していたのに、英語だから視界に入っていなかっただけだったりして・・・。

2010年9月7日火曜日

何のために働くのか

9/6 (月・祭) 雨
 
オーストラリアから大家さんの友達の M さんが泊まっていることは前にも書いた。
ものすごくおしゃべりで、酒が入るとさらによくしゃべる。
いつまでも話題がつきない。
日本人の知り合いが多いらしく、日本のこともよく知っている。
 
今日が Labor Day だからというわけではないのだろうが、昨日は酔った M さんに議論を持ちかけられた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Labour_Day
日本人は働きすぎる。
ボスが帰らないと部下が帰ることができないなんてばかげている。
平日に子供が起きている時間に帰らないから、子供に週末しか帰ってこないって思われるんだ・・・などなど。
 
「いや~、それが日本の伝統なんですよ~」と軽くかわそうとしたら、
「伝統だと~? それがキンタ●ぶらさげてる男の言うことか!」と、さらに激高させることになってしまった。
(ちなみに英語でキンタ●は、かんたんに “ball” でいいらしい)
 
このあたりは妙に大家さんと M さんは気が合っていて、従順に超過勤務をして労働者の権利を主張しない人のことを愚か者だと思っているフシがある。
また、アパートに住んでいたころ自分が週末に病院でデータ採りをしようとしていたら、フランス人に「週末に出勤するといくら手当が出るのか」とか、「手当てが出ないってことは、ボランティアを強いられていることか」などと、しつこく訊かれていたことを思い出した。
 
日本の労働環境一般について論じるのは難しいが、少なくとも自分の仕事については、いい業績を挙げることが全てだと説明するようにしている。
最近では、アスリートの例を挙げて説明しているのだが、こちらの人たちには今ひとつうまく伝わっていないように感じる。
 

2010年9月6日月曜日

Goat Mountain

9/5 (日) くもり
 
バンクーバーにお住まいのAさんのおすすめで、Goat Mountain へハイキングに行ってきた。
Goat Mountain は Grouse Mountain から近いのだが、自分がいろいろな人に訊いた限りでは知っている人はほとんどおらず、地味な存在のようだ。
http://www.vancouvertrails.com/trails/goat-mountain/
 
カナダ人の M 君と一緒に行った。
天気が良くなかったので自分は比較的重装備だったのだが、彼は大胆にも半袖と短パンの格好で、片手に水筒を持っているだけだった。
 
彼は20才代半ばで若いだけあって、 Grouse Grind も疲れを見せずにどんどん行ってしまう。
自分にとって3度目の Grouse Grind は1時間15分もかかった。
どうもタイムは荷物の重さによって大きく変わってくるらしい。
 
Grouse Grind の後で Grouse Mountain の左側の道を通ってGoat Mountain へと向かった。
ものすごい霧の中を進んで行くことになった。
途中、小雨が降ってくることもあったが、幸いなことに大降りにはならなかった。
 
最初は舗装されているから良かったのだが、そのうち細くてアップダウンのある山道になった。
Alpine Route と書いてある道を進むのだが、最後の方にはくさりを使ってよじ登るような急な箇所もあった。
近くにいたハイカーによると、事故で人が亡くなることはよくあるらしい。
 
石が積まれている小高い丘のようなところがあり、まわりのどこよりも高いことを確認し、頂上に着いたということで、軽くサンドイッチを食べた。
たまたまハイカーが通りかかったので尋ねたら、なんと実はそこは頂上ではなかったので、さらに小道をどんどん進んで行くことになった。
本物の頂上はすごく広くて、ホームページに載っている通りだった。
 
笑えるのは帰りがけにその「にせの頂上」に通りかかったら、家族連れがそこによじ登っていたこと。
やはり彼らに同じことを尋ねられたので、そこは頂上ではないと教えてあげた。
「ここは頂上ではありません」と、看板を立てるべきだと思う。
 
Grouse Mountain から Goat Mountain への往復は、Grouse Grind の比較にならないほど長くて大変だった。
ホームページにあるとおり、往復でほぼ4時間かかった。
M 君は古傷の膝を痛め、自分は太ももの筋肉がつる寸前だった。
帰りに一瞬晴れた時があったので、その時に下界を撮った写真を載せておく。
 
帰りにスカイライド乗り場近くのレストランで、ビールとちょっとしたつまみを頼んだ。
そのつまみというのがシェアメニューで、おそろしく小さいハンバーガーが3つだったのだが、肉の味とチーズの味の組み合わせが絶妙で、今まで食べたことがないくらいおいしかった。
M 君も絶賛していた。
けっこう高いのだが、あれを食べるだけのためにもう1回あのレストランに行ってもいいと思う。
 

2010年9月4日土曜日

ネイティブのレスポンス

9/3 (金) 晴れ
 
Language exchange みたいなことをしていると、英語が母国語の人 (native English speaker) の反応がいくつかのタイプに分かれることに気がつく。
まず、こちらがどんなにマズい英語でも平然としている人。
どうもそういう人たちは日本人の英語のマズさのパターンに慣れているらしく、なぜか一応通じてしまうから不思議である。
今の homestay の大家さんはまさにそのパターンだ。
 
次に、マズい英語を重箱の隅をつつくようにして全てを修正しようとする人。
こちらが完璧な英語を話さないと許してくれず、次の話題に移らせてくれない。
こっちにとっては勉強になるのでまあまあありがたいのだが、気の毒なことに気に入った完璧な英文を作ることができずに、ネイティブ・スピーカー自身がしばしば長考状態に陥ってしまうことがある。
 
そして最後にこれが一番やっかいなのだが、こっちが言葉に詰まるととたんに眉間の皺が深くなったり、手を耳にあてて一生懸命聞き取ろうとしたりと、わからないことが態度に表れる人。
こういう態度をされると、こっちの緊張感が一気に高まる。
 
クリスマスパーティの時に、隣の席に座った人がまさにこれだった。
自分のオフィスの場所を説明しようとして ”third floor” と言ったらこれが通じず、とたんに手を耳に当てて近づいてくるのだ。
何度くりかえしても通じない。
背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
 
今、大家さんの友達の M さんがオーストラリアからやってきて泊まっているのだが、彼もまさにこのタイプだった。
英語にちょっとでも詰まると、とたんに眉間の皺が深くなる。
もっとも彼は優しい人なので、不機嫌になっているのではなく、一生懸命聞き取ろうという態度なのだと信じているのだが・・・。
 
彼と一緒に夕ごはんを食べたり、ビールを飲んだり、テレビを観たりするようになってから1週間近くたった。
昨日、今日は彼からそういう態度は消え、わかってるんだかわかってないんだか大家さんのように平然とするようになったように感じられる。
一緒に住んでいると、だんだん相手の英語のマズさが気にならなくなってくるのかもしれない。
そういう意味では Homestay っていうのは、ネイティブ・スピーカーからある種の言語に関する鋭敏さのようなものを失わせる何かを潜ませているのかもしれない。
 

2010年9月2日木曜日

タレント・ショー

9/1 (水) 晴れ
 
大家さんがアメリカン・タレント・ショーが好きだということで、自分も最近一緒にテレビを観ている。
http://www.cbc.ca/weather/s0000141.html
 
昨日はセミ・ファイナルで、10才のオペラ歌手とか、大がかりな手品を披露するマジシャンとか、大ケガをしながらもマウンテンバイクで高いところから降りてくる無謀な若者とか、賞金が高額(100万ドル)なだけにさまざまなつわものが出てきておもしろい。
今日はファイナル進出者への発表で、悲喜こもごもの場面を見ながらこのブログを書いている。
来週の月曜日がファイナルなのだそうだ。
 
それぞれの出場者の技がすごいこともさることながら、ジャッジのコメントが妙に辛口だったり大げさなスタンディング・オベーションだったりで、それに対して会場の観客が賛同したりブーイングしたりするところがとても興味深い。
こういうのを見ていると、いい論文がなぜかリジェクトされたり、たいしたことがないのが逆にアクセプトされたりすることもあるのだろうと、妙に納得させられてしまう。
 

2010年9月1日水曜日

締め切りを守ること

8/31 (火) 雨
 
総説の締め切りが迫ってきたので、午後から担当教官と打ち合わせを行なった。
その時に締め切りのことが話題になったのだが、彼は自分は締め切りを守ることが大事だと思っていると断った上で、一般的には2週間くらいの遅れは OK だといったようなことを言っていた。
 
昨年は指導教官の共著という形で、テキストのチャプターを2つ執筆するのを手伝った。
その時はインフルエンザのような症状で2人とも締め切り(12月1日)の少し前に倒れてしまい、提出が2週間ほど遅れることになってしまった。
しかし今日の話では、同じテキストの別の執筆者の中には今年の6月末になって、つまり半年ほど遅れて提出した猛者もいるという。
せっかく最新の内容を盛り込んだのに時代遅れになってしまいかねないし、編集者だけでなくほかの執筆者にとっても全く迷惑な話だと思う。
 
日本でも本や総説のたぐいを書く時には、締め切りを守らない人が多いと聞く。
自分はそれは日本特有のものであって、何となく勝手なイメージとしては西洋ではきっちり守られるものだと思い込んでいた。
 
医者の悪筆が日本もカナダもそしておそらくは世界共通のものであろうことは以前に書いた。
執筆の締め切りが決して守られないことも、おそらくは世界共通なのではないかと思う。
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Work permit の書類に関しては、ようやく今朝、提出できた。
本当に期限内に更新できるのかどうか今ひとつ不安が残るが、G8 のひとつでありテクノロジーに秀でているカナダに限って、オンラインで提出した書類をノロノロと扱うなどということは決してないと信じている。
 

2010年8月31日火曜日

2年目に向けての試練

8/30 (月) 晴れ
 
Work Permit の書類を週末に書き上げ、あとほんの少しで郵送できるということまで来たのだが、今朝、秘書さんに会ったら、「役所は30日って言ってるけど、ホントは3ヶ月かかるよ」と真顔で言われた。
郵送の場合はとなりの州まで送ることになるのだが、秘書さんに言わせると、せっかくバンクーバーみたいな都会に住んでいるのだから、エア・ポートの Immigration office で手続きをするべきだということなのだ。
 
そうこうしているうちに、エア・ポートの場合はお金の支払い方が違うとか、パソコン上で出てくるべき書類が出てこないとかですっかりパニック状態になってしまった。
秘書さんに再び相談し、多くのドクターがしているように、オン・ラインで work permit の延長の申し込みをすることにした。
 
オン・ラインならちょっとは楽なのかな・・・と思ったら、全然そんなことはなかった。
まず、Government of Canada epass への登録だけでも大変だった。
http://www.cic.gc.ca/english/e-services/epass.asp
パスワードやIDを設定するだけでなく、それを思い出すための秘密の質問なども設定するのだ。
しかももちろん英語だから、よけいにストレスだ。
 
いろいろな質問に答え、今日はとりあえず HRSDC Confirmation Letter、Job offer letter、パスポートといった添付書類をアップロードするところまでこぎつけた。
しかしスキャナーからパソコンへの取り込み方がよくわからず、そこでまた秘書さんの世話になることに・・・。
スキャナーから自分のメールアドレスに直接送れるので、とても便利だと思う。
 
College of Surgeons & Physicians of BC から、早々と医師免許が届いた。
先週申請したばかりなのにすごい・・・と思ったら、免許の有効期間がwork permit の有効な1ヶ月間だけでがっくりした。
カナダの人々はふだんはかなりゆるいような印象があるのだが、Immigration とかCSPBC などの役所系はおそろしく厳格なように感じる。

2010年8月30日月曜日

多忙な週末

8/29 (日) くもりときどき晴れ
 
引っ越しが終わって落ち着いたはずなのだが、週末にもかかわらずこの2日間はきわめて多忙だった。
総説の締め切りが迫っているのが理由のひとつだが、それ以上に必死にならざるを得ないのが就労許可の更新である。
 
総説は失敗してもリジェクトで済む(今までの準備を考えると被害甚大だが)が、就労許可が得られないと国外追放になってしまう。
こっちの秘書さんはずいぶんと簡単に考えていたようだが、カナダ政府のホームページを見ると、新規に取得した昨年ほどではないにしてもけっこう面倒なプロセスである。
http://www.cic.gc.ca/english/information/applications/menu-inside.asp
今日は朝早くから研究室へ出向き、夕方まで総説書きの仕事と就労許可のための書類書きを交互に行なった。
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帰宅すると大家さん(G さん)はおらず、ネコ(名前は「ブーツ」・・・足だけ白いから)だけがいた。
G さんとそのお友達Mさんの帰宅を待って、食事(マレーシア風のカレー)をした。
G さんは交友関係が広くしょっちゅう友達が来るので、そのたびに自分も話に加えてもらっている。
 
ここに引っ越してから、以前よりも英語を使う機会がずっと増えた。
まだ効果は明らかではないが、そのうち英会話のラーニング・カーブがぐっと急上昇することを期待している。
 

2010年8月28日土曜日

UBC のオスキー

8/27(金)くもりのち晴れ 午前中は一時雨
 
来週から UBC の新学年が始まるので、学生とは今日がとりあえずは夏休み最後の共同作業となった。
試験まではまだまだ間があるので、大学が始まっても平日の夜とかに来られるかもしれないと言う。
 
試験の話から、オスキーの話を聞くことができた。
8つのステーションをまわって、問診はもちろんのこと、呼吸やバイタルサインなどひと通りのことをするのだそうだ。
 
ウチの大学では、問診で学生がけっこう苦労しているように見える。
UBCでは俳優が患者役を務めるのだそうだ。
患者がアフガニスタン帰りの兵士という設定だったりすることがあり、医学とは離れた知識が必要になるとのこと。
 
CBCのウェブサイトにときどきアフガニスタンで亡くなった兵士の顔写真が出てたりするが、そういう話を聞くとなおさら、カナダが今も戦争に参加している国なのだと考えさせられてしまう。
 

2010年8月26日木曜日

医師免許更新申請

8/25 (水) 晴れ
 
去年の9月に BC 州の医師免許を受け取って以来、免許についてはずっと放置していた。
医師免許の更新は就労許可を更新してからの作業になると秘書さんに言われていたので、まだずっと先の話だと考えていたのだ。
 
しかし今日になって、秘書さんにすぐ更新手続きをとるようにと言われた。
どうもこのまま放置していると8月末で免許が切れてしまうため、当局 (College of Surgeons & Physicians of BC) から催促が来たらしいのだ。
 
免許の更新はウェブ上で行なうことができるのだが、まずログインが大変な作業だった。
自分の ID のほかに、パスワードみたいなのが2種類必要なのだ。
 
まず ID が何を意味するのかが全くわからなかった。
これはウェブサイトを見ていて、医師免許自体に載っていることがわかったが・・・。
家に帰って医師免許をチェックしようと思っていたところ、偶然秘書さんが通りかかり、自分の医師免許を実は秘書さんが管理していることがわかった・・・っていうか、忘れていた。
 
その後、ウェブサイト上でパスワードを再申請し、ようやくなんとかログインすることができた。
免許更新の際にはこの1年間で問題を起こしたことがあるかとか、尋問を受けたことがあるかどうかとか、いくつかの質問に答える必要があった。
そして最後に更新料 100 カナダドルをクレジットカードで支払って終了。
 
ウェブサイトでは、この更新の手続きの締め切りは6月ぐらいと書いてあったように思う。
College of Surgeons & Physicians of BC から時々メールが来ているのだが、そんなに真剣に読んでいたわけではないので、知らず知らずのうちに見過ごしていたのかもしれない。
 

2010年8月25日水曜日

銀行口座開設しました

8/24 (火) 快晴
 
今まではアパートの賃貸料などのまとまったお金はクレジットカードで支払っていたのだが、これからは現金も重要になってくるので遅ればせながら銀行口座を開くことにした。
賃料の支払いについて、大家さんは「トラベラーズ・チェックでも OK だと思う」と言ってくれたのだが、正直なところ今ひとつ心もとない。
 
早朝から診療録からのデータ採取を行ない、午前 10 時に病院のそばの Canada Trust に行った。
日本の銀行のようにその場ですぐに口座が作れることを期待していたのだが、アポイントが必要だと言う。
見渡す限り数人しかおらずその全員が窓口にいるので、確かにその一人が口座開設につきっきりになるというわけにはいかないのだろう。
名刺を渡されいったん引き上げた。
 
正午に銀行に行くと、窓口ではなく奥の小さな部屋に通された。
窓口のにこやかな若い行員とは違い、ちょっと迫力のあるオジさんが相手だった。
口座を開設するにあたって ID を2つ(自分の場合はパスポートと就労許可)提示し、住所や職場、電話番号などを訊かれた。
自分の発音が悪いわけではないと信じたいのだが、職場の部署を ”Department of Anestology” と書かれたのにはまいった。
 
一番の驚きは、銀行口座に使用料がかかるということだ。
預金を引き出すといった使用が月に 25 回以下の場合、月に 8~9 ドルぐらいかかるようだった。
もっとも、多額の預金があれば使用料はかからないのだが。
 
それから小切手の紙とカードを渡された。
いままでの人生で小切手を使ったことがなかったので、なんかワクワクする。
貯金通帳がないことと、カードに有効期限があることも新鮮に感じる。
窓口でカードの PIN ナンバーを登録し、さっそく預金してみた。
 
銀行口座がないとトラベラーズ・チェックの現金化が一度に 200 ドルまでだったのが、これからはその制限額がぐっと増えたので、生活がより便利になりそうだ。
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ついでながら、今日は久しぶりにいつものカフェテリアにコーヒーを飲みに行ったのだが、また支払いの時にレジのおネエさまに「あーら先生、お久しぶり。今日も紅茶?」と言われてしまった(http://anesthmemorandum.blogspot.com/2010/07/coffee.html)。
たぶん自分の発音が悪いのではなくて、彼女が無頓着なのか、機械的にそう訊いているのか、あるいは単にからかわれているだけなのだと思う。
 

2010年8月24日火曜日

くりかえす停電

8/23 (月) 晴れ
 
おととい1時間以上の停電があったことはすでに書いた。
夕方、部屋に帰ったら、今朝も40分程度の停電があったと言って大家さんが怒っていた。
もう1回あったら電気代を払わない、とまで言っていたのに、晩ごはんを食べていたらまた停電になった。
 
今度は10分ぐらい。
ごはんができあがったあとで本当に良かった。
しかし晩ごはん中のできごとだけに、よその家では炊飯中のところもあるにちがいないわけで、本当に悲惨な事態になる可能性が高かった。
 
自分が住んでいるのは Fraser ということになると思うのだが、大家さんによると停電はここを含むバンクーバーの東側で起こっているとのこと。
ちなみに、バンクーバーを東西に分けるのは、Ontario St. なのだそうだ。
何年も起こっていなかった停電が頻繁に起こることが、人災とか大事故とかの前触れでないといいのだが・・・。
 

2010年8月22日日曜日

街中が真っ暗

8/21 (土) 晴れ
 
今年は自分の発表はないので、ようやくこの時期になってASAの旅行の準備をすることにした。
今年から会員の参加費が無料ではなくなったことは知っていたが、リフレッシャー・コースが無料になったことは今日になって初めて知った。
会費のもとをとろうとして各会場が今まで以上に混み合うのではないかと、自分のようなケチな人間は考えてしまう。
 
まずは往復の飛行機を確保すべく航空会社のウェブサイトを見ていたところ、突然、部屋が真っ暗になった。
廊下に出たら、まわりを黒く塗ったような真の暗闇だった。
上下左右がまったくわからない。
日本だったら月明かりくらいは少しは入ってくるところだろうが、ここはカナダ。
自分の部屋は半分地下にあるので、廊下には外の光が入ってこないのだ。
 
大家さんが電気を使いすぎたとばかり思い、「ブレーカーはどこ?」と訊ねてしまった。
彼女の返事は「外を見てごらん。街中が真っ暗だよ」とのこと。
グラウス・マウンテンからはまばゆいばかりの灯りが輝いて見えるが、家のまわりはどこも闇で、どこの家もろうそくの灯りを頼りにしているようだった。
 
大家さんもさっそくろうそくを灯していた。
さすがは、homestay のプロ。
対応が恐ろしく早い。
 
停電は1時間半ぐらい続いた。
街中がこんなに長い間真っ暗になったのは、自然災害を除けばたぶん小学生の頃以来だと思う。
日本はたぶん、電力の供給がどこよりも安定しているのだろう。
 
ダウンタウンのアパートで電気を使いすぎてブレーカーを落とした時は、メキシカンの彼女が外を見て「外は大丈夫だから、このアパートの問題だ」といったようなことを言っていた。
自分にはそういう発想はなく、停電はつねに住宅内の電気の使いすぎだと思い込んでいた。
 
今回の停電は原因が現時点では明らかではないが、自然災害が原因の停電といえば、2006年の日本心臓血管麻酔学会で長崎に行った時のことが思い出される。
電車をなぎ倒したくらいの強い台風が長崎を直撃し、自分が泊まっていた安ホテルは全ての電力が遮断された。
 
日没ぎりぎりまで太陽の光を頼りに JB-POT の勉強をし、翌朝にそなえて暗闇の中、7時半にはベッドに入ったことがなつかしい思い出となっている。
ついでながら、その後、ホテルの従業員がろうそくを持ってきて自分の部屋をノックしたらしいのだが、半分眠っていた自分は金縛り状態になってしまい、たいへんな苦痛を味わったことも、この際だから備忘録に残しておく。
 

2010年8月21日土曜日

アパート退去手続き完了

8/20 (金) 晴れ
 
今朝の時点ではまだ荷物が残っていたので、6時に起きてまずアパートとの間を1往復した。
そして13時に管理人と会う約束だったので、再びアパートへ戻った。
 
管理人が部屋に入ってまず驚いたのは、ベッドのマットレスが床に直接ひかれていたこと。
他のユニットの同じタイプの部屋は、ちゃんとベッドの台の上にマットレスが置かれているとのこと。
去年の9月にいた管理人に手抜きされていた(差別されていた?)ことに今さらながら気づかされてしまった。
気づかなければそういうものだと思っていたし、腹を立てずにすんだのに・・・。
 
さらに、自分としてはもらったつもりだったブランケットを寄付しようと思ったのに、クリーニング代を請求されてまたちょっとむっとしてしまった。
管理人としては自分が借りていたものだと思っていたらしい。
それで、昨年、自分が体調を崩した時にアパートじゅうの暖房が全停止し、幹部がブランケットを配って回ったという歴史を説明するはめになった。
 
メキシカンは別れを惜しんでくれたが、残念ながら彼の英語の半分ぐらいしか理解できなかった。
こういう出会いや別れといった人生の重要な局面で相手の言葉がわからないというのは、すごく損をしているような気がしてならない。
再会を約束したので、今度会う時までには少しでも英語力を高めておきたいと思う。
 

2010年8月20日金曜日

引っ越しました

8/19 (木) 小雨のち晴れ
 
早朝はくもっていたがそのうち雨が降ってきて、どうなることかと思ったが、まあなんとか無事に引っ越しの荷物を運ぶことができた。
正確に言うと全ての荷物を運べたわけではなく、8割程度といったところか。
明日、正式にアパートのカギを返すので、その時に残りの荷物を運ぶことになる。
 
引っ越し先はいわゆる home stay である。
“Home stay”であって、「ホームステイ」ではない。
つまり、日本語のホームステイから受けるイメージとはかなり違うと思う。
自分のイメージとしては、本郷あたりにある賄い付き下宿に近い。
http://www.gesyuku.net/room/nihonkan.html
↑ これは本郷ではないが・・・。
 
もうメシの心配をしないでいいと思うと、とても幸せに感じる。
自分のほかには学生が1人いるだけなので、洗濯機を争うこともないだろう。
一番重要なのは、研究や執筆活動に専念できることである。
 
引っ越し先で呼び鈴を押した時、何も返答がなく一瞬不安に感じたが、バンクーバーにやってきた昨年の9月21日のことがなつかしく思い出された。
あのころにくらべれば1年間の蓄積がある分タフになったし、これからの1年も生き抜いて行けると思う。
 

2010年8月19日木曜日

アパートの侵入者に思うこと

8/18 (水) 晴れ
 
自分の留守中に研究を UBC の学生が手伝ってくれることになっていたが、最近彼から妙に弱気なメールが届いていたので、朝一番に診療録のチェックに出かけた。
彼のパソコンが不調なようで、データ処理が滞っているとのこと。
 
確かに診療録置き場にはカルテがたまっており、仕事が順調には進んでいないことを物語るような光景だった。
彼も一人っきりで単調な作業をするのは、モチベーションが上がらず辛かったことだろう。
学生をはげましつつ、これからピッチを上げてデータを採取していくことにする。
 
昨日はなんちゃってイタリアンのおばさんが、今日は学生が言っていたが、自分がいなかった間、バンクーバーも例年になくかなり暑かったらしい。
猛暑は日本だけじゃなかったというわけだ。
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夜中に目覚めたら、共有スペースの灯りが消えていることに気がついた。
そして朝起きたら、共有スペースには寝袋にくるまって誰かが寝ていたので、その誰かが寝る時に灯りを消したということなのだろう。
 
フランス人やメキシカンはそういうことはしないので、状況からするとコリアンの女の子が男子を連れ込んで共有スペースに寝かせたということが最も考えられる。
薄い扉1枚を隔てて、どこの誰か全然知らないヤツが共有スペースに寝ているのは、ものすごく気持ちが悪い。
アパートの玄関に電子錠が付いていて、ユニットの入り口にもカギが付いているのに、防犯には全く役に立っていないというわけだ。
 
日本の学生寮や運動部の合宿所なら、そういうことがあっても不思議ではないと思う。
それは仮に面識が全くなかったとしても、あくまでも同じ大学生、同じ部活、(さらには同じ人種・言語)といった共有する何かがあることが前提だからだ。
 
ここは平和で安全な日本(韓国)じゃないし、かりそめにもアメリカ大陸だぜ(怒!)。
自分は明日転居し、あさってには完全にここを引き払うが、そういう意味では本当にこういうインチキくさい生活をよく1年近く続けられたものだと思う。
(もっと早くそれに気づかなかった自分にも腹が立つ!)
 

2010年8月18日水曜日

成田スカイアクセス

8/17 (火) 晴れ
 
今回はエア・カナダでバンクーバーに戻ってきた。
夏休みシーズン中だけあって、乗客には若者が多かった。
自分が搭乗した時はエコノミーの最後部ががら空きだったのだが、出発ぎりぎりになって大量の若者が乗り込んできて、結局は席はほとんど埋まったようだった。
 
荷物を預けたもののなぜか搭乗しなかった人が1人いたそうで、その人の預かり荷物を取り除くために時間を要し、出発が少し遅れた。
爆発物とか有害物を預けているという可能性もないわけではないと考えると恐ろしい。
 
今回は成田空港へ向かうのに、開業してちょうど1ヶ月の成田スカイアクセスを利用した。
都心からではなく途中の駅から一般特急に乗ったのだが、電車は空いていてすぐに座ることができた。
http://www.keisei.co.jp/keisei/tetudou/skyliner/jp/
 
今までは船橋経由で都心と成田空港を結んでいたスカイライナーを、より直線的な路線を走らせることで時間短縮を図っているようだ。
ウィキペディアによると、線路と施設の保有は京成電鉄ではなく別会社にやらせているらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E9%AB%98%E9%80%9F%E9%89%84%E9%81%93%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B9
 
スカイライナーは高いので、今までは成田空港と自宅との行き来には京成線の特急に乗っていたのだが、スカイアクセスの一般特急を利用できるとなるとより早くて安いので、自分のような田舎者にはとてもありがたい。
 

2010年8月17日火曜日

暑すぎる日本の夏

8/17 (火) 晴れ
 
日本に戻ってきた頃は夏らしい暑さが心地よかったが、あまりの激しさにバンクーバーが恋しくなってきた。
夏休みももう終わりなので、昨日は子供たちと屋外プールに行ってきたのだが、その時のプール近辺の気温が、37.5℃!
今朝も暑く、午前中からエアコンを入れてしまった。
 
3年間飼っていたオオクワガタのオスが、おととい死んでいた。
昆虫が死ぬといつものことだが、夏の終わりを感じる。
 
しかしムシかごが空いたのは一瞬のことで、今朝はそのオオクワガタの子供が菌糸ビンの中で羽化しているのを発見した。
けっこう大きいオスだ。
残念ながら父子の対面はならなかったが、またこれから3年間くらいは飼育が楽しめそうである。
 

2010年8月14日土曜日

ホテルマンに学ぶ

8/14 (土) くもり
 
家族で旅行に行く時はいつものことなのだが、観光地でのホテルマンの仕事っぷりにはプロ意識が強く感じられ、顧客サービスの徹底という点ではほかのどんな仕事にも負けないのではないかと感心させられてしまう。
病院では患者が目の前にいようといまいと職員どうしが私語を交わすことはそう珍しくはないと思うのだが、いいホテルであればあるほどそういうことはなさそうだ。
 
自分は航空業界にもかつてはホテルマンのようなイメージを持っていたが、最近は値下げ競争に加えて安全管理が厳しくなってきていることもあって、つねに忙しそうな国際線の客室乗務員にはあこがれの職種といったイメージを持つことは難しくなってきている。
つい最近も海外で、わがままな客にキレた客室乗務員が、職場放棄して非常用出口から帰宅したという事件があったばかりだ。
http://mainichi.jp/select/today/news/20100812k0000m030034000c.html?link_id=RSH05
 
できることなら自分も一流ホテルマンのように、患者にとって決して愉快な経験ではない周術期の医療を少しでも快適なものにするために尽くすことができれば・・・と思う。
自分の医師生活の後半をより充実したものにするためにも、留学生活の後半では周術期医療のあり方についても考察していきたい。
 

2010年8月10日火曜日

東京スカイツリー

8/10 (火) くもり一時雨
 
所用があって、家族で渋谷へドライブした。
帰りに昼ごはんを食べようと思い、ファミレスを求めてフラフラと車でさまよったら、いつのまにか駿河台下から上野、さらには浅草へ。
 
ふと気がつくと、目の前に大きなタワーが。
浅草らしくない建築物に面食らったが、これが東京スカイツリーなのだということを初めて知った。
 
最近の小学生や中学生は林間学校とかで出かけると、まずは行きがてらこれを写すらしい。
というわけで、冷静にわが家のデジカメの中身を調べてみると、確かにいくつかこの建物が写っていた。
 

2010年8月9日月曜日

Wii Party

8/9 (月) くもり
 
数ヶ月ぶりに家族と会うと、特に子供たちのおねだりにはどうしても甘くなってしまう。
昨日の夕方、近所のトイザらスに行って、”Wii Party”を買ってきた。
http://www.nintendo.co.jp/wii/supj/
http://en.wikipedia.org/wiki/Wii_Party
 
80種類以上のミニゲームが入っているのだが、本当にどれもすぐに勝負がつくミニゲームばかりだった。
ルールと操作が比較的簡単で、小さな子供はもちろん、ゲーム機の操作に慣れていない大人でも楽しめるところがいい。
 
テレビのコマーシャルでもやっていたが、自分としては「パンチングファイト」が気に入っている。
http://www.ossan-live.com/video/001276.php
攻撃せずに逃げ回ると確実に2位にはなれるのだが、決して1位にはなれない。
攻撃は最大の防御なり・・・みたいなところがある。
 

2010年8月5日木曜日

運転免許更新

8/5 (木) 晴れ
 
ちょうど運転免許証の更新時期だったので、免許証センターに行ってきた。
今回は間違えることなく、ちゃんと車で出かけた。
 
5年前の更新の時は、更新のお知らせのハガキに「なるべく公共交通機関をお使い下さい」と書いてあったために、ものすごく不便だったにもかかわらず本当に公共交通機関を使って行った。
帰りのバスの乗り場所がわからなかったのでセンターの人に尋ねたら、「なんで車で来なかったの?」と逆にもの珍しげに訊かれたり、「この人、車で来なかったんだって~」と他の職員との話のネタにされたりして散々だった・・・ということがあった。
 
無事故・無違反だったので、講習は30分ほどであっさり終了。
中型免許という概念ができたこと、免許証には本籍を載せなくなったこと、4ケタの暗証番号が2つ必要になったこと、もみじマークが変更される見通しであること、聴覚障害者用のマークがあることなど、とても勉強になった。
http://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku/momijibosyuu.pdf
あたかもリフレッシャー・コースのようだった。
 
夕方は子供の林間学校のお迎え。
自分が子供の頃とは違い、今は林間学校が終わったら、解散場所まで親が迎えに行くことになっているようだ。
 

2010年8月4日水曜日

アリエッティ観た

8/4 (水) 晴れ
 
家族と夏休みを過ごすため、また日本に戻ってきた。
成田空港で飛行機から一歩外に出た瞬間、モワッという熱気とともに鼻の粘膜の血管が拡張するような感覚があった。
 
セミの鳴き声が懐かしい。
アシナガバチが飛んでいるのを久々に見た。
なぜ、バンクーバーではセミやハチがいなかったのだろう。
 
午前中、娘と映画館へ。
「借りぐらしのアリエッティ」を観た。
http://www.karigurashi.jp/index.html
 
舞台設定といい登場人物といい、ひょっとしたらそんなことがあるかもしれないという現実感をいつのまにか持たさせられてしまう。
宮崎駿アニメから日本に関心を持ちはじめる海外の若者が少なくないのも、よくわかるように思う。
 
コンビニでウーロン茶(100円)を買ったのだが、価格に税額が込みになっているのは買い物をする上で便利だというのがとてもよくわかった。
ブリティッシュ・コロンビア州でもHST込みの価格を表示してくれると、大いに助かると思う。
 

2010年8月2日月曜日

Vancouver Pride Parade

8/1 (日) くもりのち晴れ
アパートで生活する
    残り日数・・・あと1+3日
 
Pride Paradeがあったので、アパートのすぐそばのRobson Streetまでカメラ片手に出かけてきた。
昼の12時にRobsonとThurlowの交差点からスタートし、DenmanからBeach Avenueにかけてパレードが行なわれた。
http://www.vancouverpride.ca/
 
UBCの医学部からメールが来たことは前に書いたが、確かに参加していた(写真左)。
でもかなり地味で、今ひとつさえなかったように思う。
マッチョが一人でもいてくれれば良かったのだが・・・。
 
たくさんのイベント参加者を見ているとだんだんわかってくるのだが、やはり必須アイテムとしての優先順位は、①やせマッチョの男、②激しい音楽、③車の上で踊る、④7色の風船、⑤ビキニの女、⑥シャボン玉、⑦スモーク といったところだろうか。
 
残念ながらこれら全てのアイテムを満たしていた団体はなかったように思うのだが、Presenting Sponsor でもある TD Canada Trust が個人的にはよかったように思うので、上に写真を載せることにする。
トラベラーズチェックを換金した時の TD Canada Trust の対応の良さについては以前に書いた。
Pride Parade にも対応できる多彩な人材を確保しているあたり、Canada Trust はものすごい企業に違いない。
 

2010年8月1日日曜日

ボロいビルの攻略

7/31 (土) 晴れ
アパートで生活する残り日数・・・あと2+3日

今日はここのところ続いているような快晴というわけにはいかず、グラウス・マウンテンよりも低いところに雲がかかっており、夕方には頂上付近はもやがかかっていた。
すっかり秋の気配を感じる。

スタンレー・パークのまわりをいつものコースで9km走ろうとしたが、屋外プールを右折したところで Sea Wall が工事のために封鎖されており、途中であきらめざるをえなかった。
今日は8kmちょっと走ったことになるが、タイムは43分39秒だった。
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日本に戻る前に仕事をひと区切りさせないといけないので、今日は土曜日だったが診療録の閲覧に出かけた。
ちょっといやな予感はしていたのだが、土曜日ということでいつもの入り口が封鎖されており、ビルの中に入ることができなかった。
 
「このドアが閉まっている時は、反対側の救急部の入り口から入って下さい」とは書いてあるものの、どこにも救急部はなかった。
おそらく昔、救急部があったころのなごりのメッセージなのだろう。
 
東京にある自分の大学の研究棟が似たようなボロいビルなので(ひょっとしたらもう取り壊されているかもしれないが)、その経験からすると絶対にどこかに入り口があるはずなので、執念深く探すことにした。
人に訊こうにも、土曜日だから誰もいなかった。
 
とりあえずつながってそうな隣のビルの1階に入ったが、1階どうしは施錠されていて通れないことがわかった。
それならば2階どうし、あるいは地下どうしがつながっているはずなので、地下にいったん降りてみることにした。
 
ボロボロのビルでしかも人が誰もいないので、本当に心細かった。
何度も迷子になりそうになったが、ついに地下どうしがつながっていることを発見。
東京でのボロい研究棟住まいの経験が役に立った。
つまらないことだが、本当にどんな経験が役に立つのかわからないものだと思う。
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仕事を5時で終え、カナダ人の友人M君と飲みに行くためにリッチモンドへ。
おそろしく空いているスポーツ・バーで飲んだ後、おそろしく混んでいる中華料理屋へ行った。
リッチモンドだけに中国人がいっぱいで、本当にここは中国なんじゃないかと思うぐらいだった。
 
アパートに戻ってから、久々にメキシカンと会った。
こうしてアパートで会うこともなくなるので、メールアドレスとケータイの番号を交換した。
イングリッシュ・ベイの花火も終わりだし、季節の変わり目とともに別れの季節のようなものを感じさせられる。